教養・歴史 学者が斬る・視点争点

「日本書紀」から歴史をつむぐ賭博 吉岡貴史

 ギャンブル依存症と疑われる人の割合は推計3.6%(320万人)とされる。ギャンブルはいつから日本に存在するのか。

闇賭博、近代に「公認」進む

 大谷翔平選手(米大リーグ・ドジャース)の水原一平元通訳による違法賭博問題で、「ギャンブル依存症」や「スポーツ賭博」が改めて注目された。日本人と賭博との切っても切れない関係を2回にわけて分析する。今回は歴史的なつながりをひもときたい。

 日本最古級の歴史書「日本書紀」では、天武天皇(在位673~686年)が「王らを召して博戯(ばくち)を行わせた」という記述や、持統天皇(同690~697年)の時期に「すごろくを禁止した」との一文もある。禁止した理由は、賭博で農作業がおろそかになったという説や、賭け事で財産を失う人が続出したという説などがあり、現代の「ギャンブル依存」とそんなに変わらなさそうだ。

 江戸時代に入ると、賭博は多様化した。刃傷沙汰などトラブルの原因になるという理由で幕府は賭博行為を禁止したものの、武士の間ではすごろくだけでなく囲碁、将棋、花札などを使った賭け事がひそかに広がった。

幕府がもうけ利用

 現在の宝くじの前身も江戸時代に登場した。幕府は1730年、賭博の中でも例外的に寺社が主催する「富くじ」を許可した。あらかじめ番号などが書かれた富札を購入し、発表される番号と一致すれば賞金を得られる。例外的に富くじを認めたのは、幕府が担っていた寺社の修復や再建費用が、質素や倹約を徹底した「享保の改革」で賄えなくなり、寺社に資金調達を担わせるためとされる。

 現在の宝くじも、売り上げの一部は公共事業に充てられており、政府(幕府)がギャンブルの「あがり」を目当てにする、という構図は変わらない。

 幕末には、1858年に締結された日米修好通商条約により、横浜港や神戸港に英米の商人が居留した。彼らが母国の文化である洋式競馬を持ち込んだことがきっかけとなり、62年には日本初となる洋式競馬が横浜で開催された。これが近代競馬の幕開けとされる。

 当然、競馬での賭博は国内法では禁止されていたが、治外法権のために横行していたようだ。江戸時代は文化や社会情勢の変化とともに賭博自体が変化し、多様化した時代といえる。しかし、幕府は一貫して富くじを除く賭博行為を禁止していたため、闇賭博が横行していた。

 明治維新による社会の混乱の中で、庶民にとって賭博はより身近になった。明治政府は1882年、取り締まりのために賭場の開帳、賭博への参加、富くじの販売・購入を禁止する条項を含む刑法を施行した。

 この法律に基づく警察の大規模取り締まりもあり、90年までで2万人以上が逮捕された。しかし明治維新以降の文明開化でトランプなどカードゲームが輸入された。それに伴い、江戸時代に禁止された花札の販売が解禁されて庶民の間で流行するなど、第二次世界大戦まで、賭博は「闇」として庶民の間で流行を続けた。1920年代後半には、英仏独などで製造販売されていた縦型遊技機「ウオールマシン」を日本人技術者が改良した「パチンコ遊技機」が登場している。

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 戦後には、今に続くギャンブルのメニューが出そろった(表)。政府は45年10月、政府宝くじの発売を開始。復興資金調達のため、46年からは地方自治体による自治宝くじの発売が始まった。48年には関連法が整備され、54年には全国自治宝くじが誕生した。これが現在の宝くじである。

 48年以降は、自治体や政府の財源確保を目的に公営競技が開始された。公営競技とは競馬、競輪、競艇、オートレースを指し、それぞれ関連法律と監督省庁、そして競技を統括す…

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