80歳の画家が自身の軌跡と業績を語り尽くした1点 石川健次
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美術 デ・キリコ展
おかしな絵だ。図版に紹介した作品だ。部屋の中央に敷かれたカーペットはどうも海のようだし、まるでギリシャ神話の登場人物みたいな男性が波間でボートのオールを漕(こ)いでいる。目指しているのは、画面右奥で半開きになっている扉の向こう側だろうか。
20世紀の代表的な画家、ジョルジョ・デ・キリコ(1888〜1978年)に迫る本展に並ぶ粒ぞろいの傑作のなかでも、私が最も心惹(ひ)かれた1点が、この絵だ。自身の軌跡と業績を、晩年にさしかかったデ・キリコが万感の思いを込めて端的に語り尽くしている気がするからだ。
ギリシャ生まれのイタリア人、デ・キリコの名は、とりわけ形而上絵画で知られているだろう。遠近法の不調和や現実にはあり得ない、脈絡を欠くモチーフの共存など伝統的な写実を超越した絵画は、奇抜で現実離れした表現を特徴とするシュルレアリスムなど後の芸術に計り知れない影響を与えた。
図版の作品もそうした系譜に挙げられるだろう。部屋のなかに海というまるで支離滅裂な光景こそ、まさに脈絡を欠くモチーフの共存、デ・キリコの真骨頂にほかならない。画面左に描かれた肘掛け椅子や画面奥の洋服ダンスは、いずれもデ・キリコの絵にしばしば登場するモチーフだ。ちなみに画面右に描かれた椅子は「自宅で確認されるとおぼしき椅子」(本展図録)という。
さらに目を凝らすと、画面左の壁にかかる絵は、デ・キリコが青年期に描いた形而上絵画の傑作だ。画面右の壁には窓があり、遠くにデ・キリコの「幼少期の思い出であるところのギリシャ神殿」(同)が見える。つまるところデ・キリコの生涯を彩る大切な記憶や思い出がちりばめられてい…
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週刊エコノミスト
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