教養・歴史 歴史に学ぶ世界経済

米国経済が地位低下してもドルに代わる“覇権通貨”候補は見えず 宮崎成人

中国人民元が米ドルに挑むようにも見えるが…… Bloomberg
中国人民元が米ドルに挑むようにも見えるが…… Bloomberg

 19世紀の英ポンドから政治的な覇権確立と結びついた通貨。その後、その地位は米ドルへと移ったが、覇権通貨を維持できるかどうかは米国自身にかかっている。

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 現在の国際経済・金融秩序において、米ドルが最も重要な通貨であることは疑いない。アメリカの政府・企業が国境を越えた貿易取引や投融資の際にドルを使うのみならず、第三国間でも、双方がちゅうちょなく受け入れられる通貨であり、経済活動の円滑化をもたらす一種の公共財になっている。

 さらに、ドルの重要性は経済面を超えて、政治・軍事的な面にまで及んでいる。アメリカは戦後に覇権体制を構築し維持するに当たり、意識的か無意識的かを問わず、ドルをツールの一つとして用いてきた。ドルの圧倒的な地位の背後にはアメリカの政治的意思があり、そのようなドルの存在がアメリカの覇権を支えている。その意味で、ドルを覇権通貨と呼ぶことができるだろう。

 昨今、アメリカの相対的な地位低下に伴い、ドル覇権も弱まり、場合によっては他通貨に覇権を譲るのではないかとの意見が出されている。歴史をひもときながら、覇権通貨の条件や今後の交代の可能性を考える。

 おそらく近世までは、通貨はあくまでも商業の世界のものと理解されており、発行主体の政治的な覇権確立・維持の手段としては認識されていなかったのではないだろうか。政治・軍事と近代的な通商・金融を結びつけたのは、やはり19世紀のイギリスが最初だろう。イギリスは世界最強の海軍力を用いて海運を支配し、国際貿易を興隆させるとともに、そこから派生する輸出信用や保険などの金融業を発展させた。ロンドンの金融市場(シティー)では、国内の貯蓄が内外の政府・企業の資金需要とマッチングされたが、市場の厚みを反映してその調達金利はライバルのパリやフランクフルトよりも低かった。

 イギリスは経常黒字を累積し、大量の金(ゴールド)を保有した結果、金本位制の下で英ポンドの通貨価値への信認が高まった。金本位制は国際経済の基本的なルールとなり、イギリスはそのルールを維持することに利益を見いだし、それに伴うコストを引き受ける政治的意思が形成された。金本位制とポンドは分かちがたく一体化しており、国際的な投融資の多くがポンド建てで行われた。つまり、覇権国家としてのイギリスにとって、ポンドが国際経済・金融の中心的通貨として君臨することは大きな利益であり、ポンドはその国家意思を背景に覇権通貨となった。

 しかし、第一次世界大戦によるイギリスの国力低下は著しく、ポンド売り圧力を予防するために金利を高めに維持したことから、資金調達におけるシティーの比較優位が侵食され、ニューヨーク市場の興隆へとつながった。ところが、当時台頭していたアメリカには、イギリスに代わって世界経済のリーダーシップを取る意思がなかったため、大恐慌後の世界経済は混迷を続け、結局ファシズムの勃興を招いて第二次世界大戦へとつながってしまった。

金と交換停止後も継続

 その反省から、第二次世界大戦後に圧倒的な軍事力・経済力を握ったアメリカは、自らが望む戦後体制を構築して、その維持に努めた。国際経済・金融の領域ではドルを中心とした秩序(ブレトンウッズ体制)を確立し、その維持に目を光らせた。そこでは、ドルのみが金との法的な関係を維持し、各国はドルと自国通貨との間に固定為替レートを設定する一方、手持ちのドルを金と交換するようアメリカに要請することができた。世界中がドルを欲し、ドルはアジアやヨーロッパへの直接投資や同盟国への軍事支援を通じて世界中に供給された。

 しかし、やがてアメリカ国内の経済的要請に沿った政策と、対外的なドル価値への信認が矛盾するようになってくる。端的に言えば、国内景気を刺激するための財政支出拡大やインフレ容認が、ドルの切り下げ圧力を招いたのだ。これは、一国の通貨(ナショナル・カレンシー)が覇権通貨である以上、やむを得ない現象だった。

 最終的に、アメリカは1971年、ドルと金との結び付きを一方的に解消し、ブレトンウッズ体制を崩壊させた。これによりアメリカは行動の自由を得て、ドルの覇権通貨としての地位は法的なものから慣習的なものへと変化したが、すでに国際的な金融取引はドルに大きく依存する体制ができていたため、使い勝手の良いドルが国際経済・金融秩序の中心的通貨として利用される状況は継続し、むしろ規制緩和によって強化された。

 その後、アメリカの政治・軍事的な覇権は相対的に低下しているが、自国に有利なルールをちゅうちょなく他国に強制するといわれるアメリカの性質はかえって強まっているようだ。ロシアの外貨準備の凍結や、各種の制裁対象の国家・企業などとの取引禁止は、ドルの公共財的な役割を逆手にとったものだが、それゆえ一部に自己防衛としてドルの使用を抑える動きがあると指摘される。外貨準備のドルを減らして金を増加させる動きもある。

 しかし、だからといってドルに代わって覇権通貨となる候補者が見えているわけではない。ユーロは有力な通貨だが20カ国が共同で運営する人工通貨であり、通貨政策への意思統一は容易でない。覇権通貨の責任を負うことに伴う経済的・政治的コストを引き受ける意思を確立するのも困難だろう。

中国人民元の「限界」

 中国は巨大な経済規模と強烈な政治的・軍事的自負を有しており、(自認するか否かは別として)覇権国家となる条件はかなりそろっている。併せて、人民元を国際経済・金融の中心的な地位に就けて覇権通貨としようと考えても不思議ではないし、すでにそのような動きを見せているともいえる。しかし、現在のドル同様の使い勝手の良さを人民元が獲得するためには、少なくとも中国自身が資本規制を撤廃し自由化を進める必要がある。それは現在の共産党体制の侵食につながるため、体制維持を優先する限り人民元の地位向上には限度がある。

 暗号資産は発行主体が国家ではないのが(暗号資産を好むファンにとっての)メリットであるが、覇権通貨となるための政治的意思を表明する主体がいないのでは、広く経済・金融界の信認が得られるとは思われない。中央銀行が発行するCBDC(中銀デジタル通貨)は既存の通貨をデジタル化しただけであり、使い勝手は改善するかもしれないが、その通貨が覇権通貨となるかどうかは実体上の通貨自体の実力次第だ。

 当面ライバルがいないのであれば、ドルの地位は安泰だろうか。そのカギは、アメリカの一方的な行動が、「それなりに」公正なものとして多くの経済主体から受け入れられるかどうかにかかっている。裏を返せば、中国が一方的な行動をとっても、多くの経済主体がそれを公正だと受け止める段階に至らなければ、人民元が覇権通貨となることは難しい。

 仮にアメリカ国内の政治対立が一層激化すると、公正とは言えない極端な政策が取られる可能性があるし、議会が機能不全に陥ると、予算や債務上限の審議過程でアクシデント的に米国債のデフォルト(債務不履行)懸念が高まる恐れもある。

 こうした状況が繰り返されては、経済主体からの信頼は低下し、ドルへの信認は崩れて、ある時点で津波のようなドル離れが起こる可能性も否定できない。1930年代に覇権通貨が不在となった悪夢の再来を避けるには、アメリカが対外的な責務を想起して自らを律するとともに、国際社会が一致して経済・金融秩序の維持・改善に努力する必要がある。

(宮崎成人〈みやざき・まさと〉元財務省副財務官、東京大学大学院客員教授)


週刊エコノミスト2024年10月15日・22日合併号掲載

歴史に学ぶ世界経済 覇権通貨 米国経済の相対的地位低下でもドルに代替する候補は見えず=宮崎成人

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