伊勢北畠氏の戦国大名化にみる“権門”から“封建”への社会変化 今谷明
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飛騨(ひだ)・伊勢・土佐の三カ国は、室町時代には“三国司(さんこくし)”と呼ばれて、武家ではなく公家出身の大名が統治していたことが知られる。飛騨の姉小路氏、伊勢の北畠氏、土佐の一条氏である。もっとも一条氏は、由緒ある摂関家の出身だが、応仁の乱の没落で食い詰め、荘園の土佐幡多庄(はたのしょう)に下向して土着したので統治権行使とは言い難い。
大薮海編著『伊勢北畠氏』(戎光祥出版、7700円)はこの三国司の一つである伊勢北畠氏について、南北朝期から戦国末期までの動向と実態を跡づけた興味深い論文集である。この伊勢北畠氏の領国の強さは、戦国末にいたり、かの織田信長ですら名家北畠氏の姓を尊んで、親族を養子として北畠氏を名乗らせた事実をみても推しはかられる。
伊勢は南北に細長く、南の三郡は“神三郡(しんさんぐん)”と称されて、古くから伊勢神宮の直接支配に委ねられてきた。その意味では、鎌倉以来、守護が置かれず、興福寺と春日社が統治権を行使してきた大和国と類似の状況にあったといえよう。その神三郡の北側に位置するのが、北畠親房(ちかふさ)の末裔が支配する飯高、一志の2郡である。したがって室町幕府と伊勢守護が支配するのは、一志郡より北の伊勢北部にすぎなかったのである。
このような伊勢一国の特殊な行政権のあり方は、室町三代将軍の足利義満が決定したと推測されるが、戦国期になると北畠氏の支配権が拡大して“大…
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週刊エコノミスト
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