理想にこだわった過去はどこへ 色あせていく「石破カラー」 仙石恭
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石破茂氏が高市早苗氏に競り勝った9月の自民党総裁選。決選投票の直前、緊迫した空気が漂う党本部8階ホールで演説した石破氏は、こう約束していた。
「一人残らず同志が、来たる国政選挙で議席を得ることができるように、全身全霊を尽くす」
報道各社の世論調査では軒並み、総裁候補の中でトップクラスの人気を得ていた石破氏。岸田文雄前首相は自ら身を引いた。自身が党の顔になれば、次期衆院選では「一人残らず」当選とはいかなくとも、大負けはしないという自負はあった。
結果は違った。自民の議席は、公示前勢力から65減の191にまで落ち込み、与党は過半数割れした。派閥裏金問題に対する猛烈な逆風だった。
数少ない側近の一人を失った。長く石破氏を支えてきた、八木哲也氏が愛知11区で敗れ、バッジを失ったのは痛手だ。
去って行った仲間たち
石破氏は野党時代の2012年、2度目の総裁選で、安倍晋三元首相に決選投票で逆転負けした。再起を期して15年、衆参19人を集めて水月会(旧石破派)を結成した。宏池会(旧岸田派)、平成研究会(旧茂木派)などの老舗とは異なる、新興の「ベンチャー」派閥であることが売りだった。
鴨下一郎元環境相、田村憲久元厚生労働相、斎藤健元経済産業相、伊藤達也元金融担当相、古川禎久元法相、山下貴司元法相らが顔をそろえた。いずれも政策に強い実力派だ。
「安倍1強」と呼ばれた時期に集まり、「冷や飯」覚悟の固い絆で結ばれていたはずだった。
石破氏は若いころ、田中角栄元首相の薫陶を受け、それを誇りにしている。石破氏は国民的人気が高いとされてきた。一方で、議員仲間に対しては、田中氏のような気配りや面倒見の良さに欠けると常に言われてきた。
東京・赤坂にある衆院議員宿舎には、議員用の食堂がある。「いつも一人で、壁に向かって新聞を読み、朝食をとっている」。与野党問わず、多くの議員が石破氏のこうした姿を目にしている。孤高の人という印象が強いようだ。
田村氏、斎藤氏、古川氏らは、石破氏を見限って相次いで派を退会した。21年には中核だった鴨下氏も引退し、派閥を維持できなくなりグループ化した。岸田氏の派閥解散宣言を受けて、今年9月にはグループも解散した。
総裁選の前評判では、石破氏にも勝機があると見られていた。にもかかわらず、出馬を模索し、断念した斎藤氏は小泉進次郎前選対委員長を支援した。古川氏も小泉氏、田村氏は林芳正官房長官を支持し、石破陣営に戻ってくることはなかった。
15年の旧石破派の結成に参加し、今回の総裁選でも石破氏の推薦人に名を連ねたのは、衆院では八木、赤沢亮正、平将明、田所嘉徳、冨樫博之、門山宏哲の6氏、参院では舞立昇治氏だけだ。このうち、八木、門山両氏は衆院選で落選した。赤沢氏は石破氏と同じ鳥取選出の最側近で、経済再生担当相に就いた。
しかし、首相官邸では、林官房長官、橘慶一郎、青木一彦両官房副長官は、いずれも旧石破派には所属していなかった。党務で全幅の信頼を置く森山裕幹事長も旧森山派の会長で、石破氏と盟友というほどの近さはない。
党内基盤の弱さはかねて指摘されてきたが、身をなげうってでも…
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週刊エコノミスト
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