企業、業種の垣根を越える MaaSの底知れない破壊力=大堀達也/加藤結花
2019年は日本の「MaaS(マース)元年」になるかもしれない。MaaSとは“Mobility as a Service”(サービスのモビリティー)の頭文字を取った略語。クルマや鉄道、飛行機、バス、タクシー、そして自転車まで、社会にはさまざまな交通手段がある。それらをICT(情報通信技術)を駆使し、待ち時間などのストレスなくスムーズな移動を可能にする“一つの”サービスと捉える。そうしたMaaSの実証実験が今、各地で始まっている。
静岡県伊豆地方で今年4~6月、MaaSの実証実験に取り組んだのが、東急電鉄やJR東日本を中心とする企業連合だ。スマートフォンアプリ「Izuko」(イズコ)を開発し、スマホ上で実験に参加する鉄道やバス、タクシーなど複数の交通機関が2日間、乗り放題となるデジタルフリーパス「イズコ・イーストパス」(3700円)などを発行。利用者が車両の位置情報を把握でき、複数の指定地点で自由に乗降できる相乗りの「オンデマンドタクシー」も運行した。
東急はグループ会社の伊豆急行が伊豆地方で鉄道を運行するほか、ホテルなどを展開するが、「バスやタクシーなどの利用方法が分かりにくく、観光客の8割がクルマで来る」(交通インフラ事業部の長束晃一主事)。利便性を高めなければ、観光地として生き残れないという危機感が背景にある。問題意識は伊豆で路線を展開するJR東日本も同じ。東京─横浜間で同じ鉄道事業者として火花を散らす両社だが、事業者の枠を越えた協力がMaaSという形で実現した。
今回の実験で、イズコのダウンロード数は約2万3000件、デジタルフリーパスは約700枚を販売し、オンデマンドタクシーは約1000回利用された。長束氏は「ダウンロード数に利用者の期待の高さがうかがえた」と手ごたえを語る。今年9~11月にも第2弾の実験を予定。MaaSの可能性は伊豆だけにとどまらない。「東急路線の利用促進や沿線の活性化に有効だと判断すれば、伊豆に限らずにMaaSの取り組みを進めていく」(長束氏)という。
「高齢者の足」でタッグ
ドラッグストアと自動車部品メーカーという、業種の垣根を越えた異色のタッグがMaaSで取り組むのは、“買い物難民”の高齢者の支援だ。スギ薬局とアイシン精機は昨年7月、両社の本社が近い愛知県豊明市で、利用者が乗りたい時に乗れる8人乗りオンデマンドバス「チョイソコ」の試験運行を開始。アイシン精機が開発した経路検索システムを使い、設定した乗降地点で事前登録した利用者を最適なルートで運ぶ。
サービスの対象者は65歳以上。スマホ操作に慣れない高齢者に配慮し、電話でバスを使いたい日時と目的地を伝える仕組みだ。電話を受けるのはアイシン精機のオフィス内に設置した管理センターの専属スタッフ。乗降地点に設定したのは、スギ薬局の店舗のほか、市役所やスーパーマーケット、病院や住宅地。市内には路線バスや市営のコミュニティーバスが走るが、カバーできていないエリアが多く、高齢者がなかなか買い物に出られなかった。
利用登録者は現在、約1150人。当初は無償で運行していたが、今年3月以降は1回200円へと有償化した。それでも、チョイソコを利用した女性(72)は「タクシーで病院に通えば往復2600円がかかっていたが、チョイソコなら夫婦で利用しても往復800円。便利で安いので外出が楽になった」と喜ぶ。スギ薬局とアイシン精機は当面、サービスを継続し、数年以内には黒字化も見込む。他の自治体でも導入を検討しているという。
スギ薬局を傘下とするスギホールディングス(HD)は現在、ドラッグストアで国内6位。今年6月には同7位のココカラファインと経営統合の協議入りを発表した。経営統合すれば国内トップの規模となるが、ココカラファインは同5位のマツモトキヨシHDからも経営統合の提案を受けている。規模を巡る業界の激しい争いに加え、インターネット通販などとも顧客の奪い合いが続く中、スギ薬局は自らMaaSで買い物客を店舗へ呼び込む道を切り開こうとしている。
自動車業界の利益「半減」
昨年10月、MaaS事業に向け戦略的に提携することを華々しく発表したトヨタ自動車とソフトバンク。両社が出資して設立した「モネ・テクノロジーズ」には、今年6月までにホンダやマツダ、スバル、スズキ、ダイハツ工業、いすゞ自動車、日野自動車と国内の自動車大手7社が出資を決めた。まだ加わっていない日産自動車も、連合を組む仏ルノーとの経営統合問題で調整がつけば、モネに出資する可能性は十分にある。
自動車業界にもMaaSを進めなければならない理由がある。クルマには今、「CASE」(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)という波が押し寄せる。特に自動運転の影響は大きく、将来、運転手を必要としない完全自動運転車が実現すれば、クルマはコモディティー(汎用(はんよう)品)になりうる。SBI証券の遠藤功治企業調査部長は「現在25兆円程度とみられる世界の自動車・部品産業の税引き前利益が、10兆~15兆円に半減する可能性がある」と指摘する。
国内の新車販売台数は年間500万台前後で伸び悩む。一方、米グーグルなど世界のIT大手は、MaaSで虎視眈々(たんたん)と次の覇権を狙っている。その先手を打つ形で、クルマや人の移動に関するさまざまなデータを“オールジャパン”で活用し、利用者の需要に合わせて配車する「オンデマンド交通」などの事業のほか、将来は自動運転車とMaaSを組み合わせた究極のサービス展開も見据える。
モネ・テクノロジーズが中核となって今年3月、より幅広いサービスの可能性を広げようと設立した企業連合「モネ・コンソーシアム」には現在、東急やスギ薬局、アイシン精機のほか、三菱UFJ銀行、三井不動産、JTB、全日本空輸、中部電力などさまざまな業種から約280社が参加する(20~21ページのMaaS業界地図参照)。これから訪れるMaaSの時代には、もはや企業や業種の枠は意味をなさなくなっているのかもしれない。
これらMaaSに積極的に取り組む企業の顔ぶれは、いずれもそれぞれの業界の雄ばかり。まだ経営に余裕のある今だからこそ、MaaSにチャレンジできている。あらゆる事業で未来を切り開くには、MaaSがもたらす移動の革命に乗り遅れてはならない。
(大堀達也・編集部)
(加藤結花・編集部)