週刊エコノミスト Online書評

『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』 評者・田代秀敏

著者 山田敏弘(国際ジャーナリスト) 新潮社 1450円

母国にスパイを送り続けた女性 その数奇な生涯の評伝

 日米貿易交渉がスイスのジュネーブで1995年6月26日から開催されると、米国は有利に話を進めた。米国の中央情報局(CIA)の東京支局が徹底した対日諜報(ちょうほう)(スパイ)工作を繰り広げていたからである。

 CIA東京支局は、交渉に参加していた日本の通商産業省などの官僚とトヨタ自動車や日産自動車の交渉担当者との間の会話までも盗聴し、日本側の手の内を掌握していた。盗聴内容を含むブリーフィング(概要説明)を、ミッキー・カンター通商代表は毎朝、橋本龍太郎通産大臣と交渉する前に受けていた。

 こうした諜報工作をCIAが実行できたのは、日本語を十全に解し、日本人の心理を熟知したスパイを多数擁していたからである。そうした優秀な対日工作スパイたちを育成したのは、キヨ・ヤマダ(山田清)という日本人女性だった。

 キヨは1922(大正11)年に東京の資産家の次女として生まれ、東京女子大、東北帝大を経て東京文理科大(現筑波大)を卒業した。フルブライト奨学生として渡米後、米軍将校と結婚し専業主婦となっていたが、68年に46歳でCIAの日本語インストラクターとなった。

 CIAは47年の設立からずっと、日本に深く浸透して、極秘活動を続けてきた。吉田茂や岸信介、緒方竹虎や児玉誉士夫などと密な関係を築き、55年に自由民主党が結成された裏ではひそかに多額の資金を援助するなどの極秘工作を行い、鍵となる政治家を金銭的に援助するなどして日本政府の中枢に深く入り込んだ。

 キヨは77歳で引退するまでの32年間、多数のスパイを育成して日本に送り出し、さらに、日本の全国紙の有名な記者をCIAの協力者にするなどの工作に深く関与した。

 キヨが育成したスパイたちは、米国の経済政策を有利に進めるための工作に奔走し、民間や政界、官界などに協力者を作り、ハイテク・電子・農業の分野の情報を吸い上げた。

 米国の首都ワシントンでは、日本大使館や日本企業のワシントン支社だけでなく日本の政府や企業の関係者が滞在するホテルまで盗聴した。

 そうした対日工作は大きな成果を上げ、キヨはCIAで日本人として史上最も高いランクに上り詰め 、引退の際にはCIA本部で優秀賞とメダルを授与され表彰を受けた。

 しかし、ワシントンの米国陸軍が管理するアーリントン国立墓地にあるキヨの墓には墓碑銘がない。

 本書はキヨの墓碑銘であるとともに「日米同盟」という大いなる幻影の墓碑銘である。

(田代秀敏、シグマ・キャピタルチーフエコノミスト)


 やまだ・としひろ 講談社、ロイター通信社などに勤務後、米マサチューセッツ工科大学を経てフリーに。著書に『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』、訳書に『黒いワールドカップ』など。

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