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国際・政治 中東緊迫

基礎から分かる米国の中東関与4ステップ=福富満久

テヘランの米国大使館占拠事件によって、米イランは断交(1979年11月4日)(UPI)
テヘランの米国大使館占拠事件によって、米イランは断交(1979年11月4日)(UPI)

 米国と中東との関係は、いつから始まり、いつからこじれたのだろうか。「原油」を軸に、四つの段階に沿って、米国の中東関与の歴史を振り返る。

(1)関与の始まり 英仏に代わり進出

 第一次世界大戦以降、オスマン帝国が崩壊すると、その大部分は、当時の大国である英国とフランスに切り分けられた。パレスチナは国際管理下に置かれたものの、ヨルダン、エジプト、イラク、アラビア半島は事実上英国の支配下に置かれ、シリア、レバノン、北アフリカは、フランスの支配下に置かれた。だが、第二次世界大戦で英仏はドイツとの戦いで疲弊し、もはや植民地を運営する力は残っていなかった。

 そのことを世界に知らしめたのが、スエズ危機(第2次中東戦争)である。1956年、エジプトのナセル大統領がスエズ運河会社を国有化し通行料を直接徴収すると宣言した。これに憤慨した英仏両国がイスラエルとともにエジプトに対し軍事行動を起こした。英仏両国はスエズ運河の権益確保を図ろうとしたが、世界的に民族運動や独立運動の機運が高まる中、国際世論を味方にできず、米国が英仏、イスラエルに対して無条件即時撤退を求めて事態は終息に至った。これにより英仏の影響力は中東で大きく損なわれた。

(2)蜜月期 原油利権で巨万の富

 スエズ危機で影響力を高めたのは米国だった。米国は中東に植民地をもたず、パレスチナ問題にも直接的に関与していなかったため、中東諸国は米国の仲裁や関与を歓迎した。特に米国との関係を強化したのがイランとサウジアラビアだった。イランは帝国列強の植民地になることをかろうじて免れたものの、北には常にソ連の脅威があった。第二次世界大戦前から英米資本が同国に進出。米国は、援助と引き換えに、53年、民族主義者のモサデクを失脚させて、首尾よく皇帝(シャー)であるパーレビ国王をまつり上げてかいらい政権を作り上げた。シャーもまた米国の庇護(ひご)が必要だった。

 サウジも同様に米国との関係を強化した。米国は第二次大戦中からサウジに対し武器貸与を承認して防衛協定を結びサウジの安全保障上大きな役割を果たした。そして、見返りに44年1月、カリフォルニア・アラビアン・スタンダードを母体とする合弁会社──後に超巨大石油企業となるアラムコ(Arabian American Oil Company、頭文字をとってAra­mco)の設立をサウジ政府に認めさせ、サウジ産出の原油を米国資本経由で販売し、利益の一部をサウジに還元する取引を開始した。

 冷戦対立が深まる中、サウジとイランは西側諸国経済をエネルギー面で支える重要な役割を果たした。米国は70年時点で、サウジからの原油100%(年間13億5900万バレル)、イランからの原油40%(同13億3200万バレル)、クウェートからの原油50%(同10億8200万バレル)をコントロールしており、米系石油会社は、維持費として年間20億ドルをペルシャ湾岸諸国に投資していた。ペルシャ湾をコントロールすること、そして石油から生まれる富の所有と確保が米国の最大の関心事であった。米国と取引するサウジ、イランも同様だった。

 アラムコの母体・カリフォルニア・アラビアン・スタンダードの親会社は、ロックフェラーグループの米スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(通称ソーカル)である。ソーカルの48~54年の営業利益は推定6億4500万ドルで、1ドルの投下資本当たり実に29・61ドルの利益を生み出す計算となった。

 米資本が莫大(ばくだい)な利潤を上げる一方、たとえば、イラン側が得た報酬は、年間純益のたった16%に過ぎなかった。利益の分配ルールは、国、会社、鉱区の規模などで異なるため一概に言えないが、総じて産油国側に不利だった。

米国と蜜月関係を築いたパーレビ国王(中央左)夫妻だが、イスラム革命でイランを追われた(1979年1月16日)(UPI)
米国と蜜月関係を築いたパーレビ国王(中央左)夫妻だが、イスラム革命でイランを追われた(1979年1月16日)(UPI)

(3)産油国の反乱 米の石油利権は縮小

 理不尽な条件に対し、産油国がいつまでも黙っているわけがなかった。50年代以降、大規模な油田開発が続き、原油の供給過剰が慢性化したことで英米資本の世界大手石油会社(石油メジャー)が価格を段階的に引き下げた。これに反発し、60年9月に石油産油国5カ国が石油輸出国機構(OPEC)を設立した。71年には、リビアのカダフィ大佐が石油企業の国有化を宣言、米国が思い描く国際石油レジーム体制が揺さぶられていくことになった。

 さらに73年、イスラエルとアラブ諸国の間で起きた第4次中東戦争の際、湾岸の産油諸国が西側諸国に石油禁輸で対抗して第1次石油危機が勃発した。その後石油輸出は解禁され、米国・サウジの外交関係は改善したものの、79年、イランでイスラム革命が起きると、今度はイランからの石油がストップし第2次石油危機に陥った。私利私欲の限りを尽くし、米国のかいらいとみなされたシャーをイランの国民は放逐し、シャーは米国に亡命した。

(出所)編集部作成
(出所)編集部作成

原油資金 米経済へ環流

「金のなる木」である石油利権を奪われていった米国は、一連の危機をどのようにして切り抜けたのだろうか。米国は、石油の大口顧客である先進諸国の経済がまひすれば、OPEC諸国こそが困ると踏んでいた。実際にOPEC諸国の経済規模は小さかったことから、オイルマネーは米英の金融機関に積極的に預け入れられた。資金は、国際金融市場を通じて再融資へと回った。発展途上国向けの民間銀行貸付額は70年の30億ドルから80年の250億ドルと、ドルの額面上だけでも約8倍に跳ね上がった。産油国は金利収入が増え、米英の金融機関にも莫大な収益をもたらした。

 そして、産油国がオイルマネーで購入を切望したものがあった。米国の最新鋭の軍需品である。米国側は巨大軍需産業のための大型契約を締結することに次々と成功、湾岸産油国の軍需品の輸入額は73年の200億ドルから78年には1000億ドルに膨張した。サウジは、イスラム革命以降、ペルシャ湾を挟んで国力を増すイランに対する警戒感から武器購入を急いだ。米国との軍事的な結びつきは整備・保全を必要とし、おのずと米国との関係を強化した。

 こうして産油国へ支払われたドルは、米国が主導する国際金融の回路の中で、武器買い付けのほか、巨大建設プロジェクトの受注、米国債の購入、各種の投資を通じて米国および世界に還流することになった。

(4)関係泥沼化 革命後のイランと対立

 だが、米国が潤えば潤うほど、反米感情が高まる国が増えていった。米国が取りなして79年3月にエジプトとイスラエルとの間で和平条約が締結されると、事実上パレスチナ問題を不問にする和平条約締結の衝撃と米国への憤りは、弧を描くように中東全域に広がった。リビアではカダフィ大佐が米国打倒を宣言、イランでもさらに反米感情が高まることになった。同年11月、ホメイニ体制崩壊を狙うスパイ活動の疑いから米国大使館人質事件が発生。人質52人は後に全員解放されたものの、事件を契機に両国は国交を断絶、以後米国とイランはお互いを悪魔とののしり敵対した。

 80年から国境線を巡ってイラン・イラク戦争が繰り広げられたが、米国はイランを制圧するために独裁者フセイン率いるイラクを軍事支援した。軍事強国となったイラクはその後、石油を巡るいさかいなどからクウェートへ侵攻し、湾岸戦争が勃発した。なお、イラン・イラク戦争中の1983年には、レバノン駐留の米海兵隊兵舎へ自動車爆弾攻撃があり240人あまりの死者を出した。イランの革命防衛隊が関与しているとされ、1日の死者としては太平洋戦争以降、米海兵隊史上最大の犠牲者数となった。海兵隊はこの攻撃を屈辱として刻み、入隊する訓練生に教えていると言われる。この事件も、今日の米国・イラン対立の背後にある。

(出所)編集部作成
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かつての味方が敵に

 79年は、米国にとってもう一つ衝撃的な事件が発生した。イランの背後にあるアフガニスタンへのソ連侵攻である。米国は、ソ連に対抗するべくムジャヒディン(イスラム戦士)を育成した。この戦略も、イラクのフセイン同様、米国に牙をむくきっかけになった。ソ連撤退後、アフガンで力を握ったのはムジャヒディンたちであり、同国は以来テロの温床となった。事態に対応するため、米国は同盟国サウジに基地を置いたが、イスラムの聖地を冒涜(ぼうとく)すると捉えられた。

 2001年の9・11米同時多発テロは、こうした米国の政策に反発した者たちによって引き起こされた。その後米国はテロリスト制圧のためにアフガンとイラクに侵攻、タリバン政権とフセイン政権を倒した。だが、アフガンは混沌(こんとん)とし、イラクも政情不安に陥っている。パレスチナ問題もトランプ政権がエルサレムに米大使館を移し、イスラエルの首都だと認めたことで解決不可能になっている。パレスチナがヨルダン川西岸(ファタハ=対話推進派)とガザ地区(ハマス=武装闘争派)の二つに分離し、イスラエルから対話ができないことへの口実にされているのも、元はといえば米国のイスラエル寄りの介入が原因だ。戦争に次ぐ戦争で米国が中東に残したのは、憎悪と混沌である。その責任は極めて重い。

(福富満久・一橋大学教授)

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