新型肺炎で露呈! 「集権型統治」の限界=田代秀敏
新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)する中国現地での状況は日本で報じられているより深刻だ。
武漢市(人口1108万人)を含む湖北省(同5917万人)に隣接する重慶市(同3102万人)の住民が、7億人を超える人々が利用するSNS「微博(ウェイボー)」に投稿した組み写真は、「重慶では医療物資が不足。社会に要請します」と手書きで発信。テキストで投稿すると削除される恐れがあるので工夫したのだろう(写真)。
また中国共産党の党員育成機関である中国共産主義青年団(共青団)は2月3日、「青年突撃隊」を編成し、マスク・防護服・食料など不足する物資の生産支援や医療支援、街頭での監督管理啓蒙(けいもう)などに動員する「指針」を決定した。8000万人超とされる14~28歳を擁する共青団の精鋭を、感染の危険がある作業に動員するところに事態の深刻さが表れている。
事態がここまで深刻となった最大の原因は初動の遅れである。原因不明の肺炎患者が昨年12月8日から次々と現れていることを武漢の保健当局が公表したのは12月31日であった。しかし習近平総書記(国家主席)が、情報の迅速な公開と蔓延の防止対策とを指示したと発表されたのは1月20日であった。
これほど初動が遅れたのは、1月12〜17日に湖北省人民代表大会の開催が予定されていた上に、習氏のミャンマー公式訪問が同17~18日に、雲南省視察が同19~21日にそれぞれ予定されていたからだと言われている。
2002~03年のSARS(重症急性呼吸器症候群)流行の際にも同様の構図があった。02年11月16日に中国広東省仏山市で最初の症例が見つかった。しかし同月8〜14日に5年に1度の中国共産党大会が、03年3月5日からは全国人民代表大会が開催されたことで対応が遅れた。中国当局が世界保健機関(WHO)へ報告したのは03年2月11日であった。
初動の遅れが繰り返されるのは統治システムの陥穽(かんせい)である。中国では国家機関・国有企業だけでなく民営企業・学校・各種団体の組織の中に中国共産党員のグループが形成され、党員グループの代表である書記が組織全体の実質的な責任者となる。そうした書記たちの頂点に立つ総書記を起点とするトップダウン方式の統治が社会の隅々にまで及ぶ。
この統治システムがあるからこそ、中国は自力更生の文化大革命路線から外資を積極利用する改革開放路線へ全面転換し、驚異的な高度経済成長を達成することができた。
しかし改革開放以前と比べ格段に発展し複雑化・多様化した現在の中国において、この統治システムが機能を発揮しないケースが生じている。初動の遅れは、それを端的に示している。
「幻の統治改革」復活か
実際、統治システムは揺らいでいる。昨年12月30日に感染拡大の警鐘を鳴らすSNS投稿を行った武漢の医師は警察から処罰されたが、同医師が2月7日に死亡すると、一転して国家的英雄とされた。15日になって、習氏は既に1月7日の時点で疫病対策を指示していたと発表されている。2月20日には、雲南省にある政府系の研究機関が「警報を1月6日に周知していたら蔓延を抑制できた」とする論文を発表。同24日には経済誌『財新』が「NGO(非政府組織)を活用せよ」と社説で主張した。
集権的な統治システムの対極にあるのが、京セラ創業者の稲盛和夫氏が編み出した「アメーバ経営」である。組織を小集団(アメーバ)に分け、それぞれが目標を立てて努力する「全員参加経営」だ。アリババの馬雲(ジャック・マー)氏をはじめ中国の新興民営企業創業者の多くは稲盛氏を信奉し、アメーバ経営を実践している。
実は31年前の1989年に、当時の総書記であった趙紫陽氏は、組織内の党員グループを廃止し、経済と政治との改革を一気に進めようとしていた。しかし、同年6月4日に天安門事件が起き趙氏が失脚するなど混乱を極める中で、大胆な改革案は葬り去られた。
民営企業の活動が国内総生産(GDP)の60%を超す現在の中国で、今回の疫禍を契機に、一度はお蔵入りとなった統治システム改革が俎上(そじょう)に載るかどうか注目される。
(田代秀敏、シグマ・キャピタルチーフエコノミスト)