壊す天皇と造る武家 平安京の盛衰を読み解く=今谷明
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都城制という研究分野がある。藤原京、平城京、平安京など大王(天皇)の居所としての“首都”がどう移転し、諸施設がどう配置され、変化したかを検討するもので、戦前の喜田貞吉以来、長い伝統があった。また都城は、いうまでもなく日本独自の発祥ではなく、大陸での都城の模倣でもあり強く影響を受けている。
桃崎有一郎著『京都を壊した天皇、護った武士 「一二〇〇年の都」の謎を解く』(NHK出版新書、850円)は、最も長く続いたミヤコである平安京を取り上げるが、対象は都城そのものではなく天皇や上皇の居所である内裏(だいり)・仙洞(せんとう)すなわち宮殿で、従来の研究にあまり類を見ない中世と近世に焦点をあてている。
巨大な儀礼空間であった大内裏(平安京北部中央)が形骸化し、天皇外戚の摂関家邸宅の一部が“里内裏(さとだいり)”として実質の天皇居所になってくるのは平安中期のことで、大内裏は花見の名所となり、やがて荒廃して“内野(うちの)”と呼ばれ、明徳の乱(1391年)では古戦場となってしまう。
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週刊エコノミスト
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