伝統からも、文革からも解放された自由な時代の中国詩の魅力!=辻康吾
中国 夢の1980年代「朦朧詩」の時代=辻康吾
私が新聞社の特派員として北京に赴任したのは、文革終結直後の1979年であった。着任当初の仕事は連日未明から西単の「民主の壁」に行き、壁新聞を読み、集まっている人々の話を聞くことであった。そんな中で民刊と呼ばれた中国初の民間雑誌『四五論壇』の発行者である徐文立氏(後に投獄され、米国に亡命)ら民主青年や、同じく初の民間画壇である星星美展の画家、多くの聴衆に取り囲まれた詩の朗読者たちに出会った。
思い起こすと、街はまだ自転車にあふれ、食料や衣料も切符制ではあったが、少なくとも「民主の壁」に集まる人々、また新聞記者、官僚、あるいは大学や研究所の若い知識人たちは、大きな夢を描いていた。はじめて彼らに開かれた世界を真剣に見詰め、理想の中国を作るために活発な議論が展開されていた。その中に後に朦朧(もうろう)詩人と呼ばれ、中国の詩壇を変革した若い詩人たちもいた。
昨年11月に出版された『朦朧詩選新編』(春風文芸出版)を手にしたとき、あの「北京の春」当時の中国の雰囲気を思い出した。一言で言って49年の建国以来、政治、経済、社会はもちろん、学術、文化、思想まで、すべてが共産党指導下に置かれてきた中国で、はじめてその箍(たが)が外され、ひと時ではあれ、解放と自由の風が吹き渡った瞬間であった。
毛沢東が死去し、文革が終わり、すべての規範を失った中国では、それまで抑圧されていたあらゆる人文活動が一挙に花開き、この「朦朧詩」と呼ばれる自由詩もそうした新しい表現の一つであった。「朦朧」というその名の通り直感的、抽象的、寓意的、難解な作品は、それまでの枠組みを捨て、詩人本人の魂の叫びを伝えるものとして若者たちの熱狂的支持を集めた。
同書には採録されなかったが、顧城(56年生。93年妻を殺し、自殺)の「暗い夜は、わたしに黒い瞳を与えたが、わたしはそれで、光明を探し求める」(「一代人」というタイトルの詩。一代人は、ある一時代の人を意味する)という一編こそあの時代を象徴するものだと思っている。だがそれから10年足らず、89年の天安門事件は数々の夢を断ち切り、中国は再び強権に頼る伝統世界へと戻って行ったようだ。
(辻康吾・元獨協大学教授)
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