小説 高橋是清 第150話 原が刺さるる朝=板谷敏彦
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(前号まで)
是清の参謀本部廃止論や石橋湛山の唱える小日本主義に耳を貸さず、陸軍少壮エリート将校たちが始めた国軍改革運動は軍内に下剋上の風潮を生み出す。
欧州大戦(1914〜18年)は英仏米の民主主義国家対独墺オスマン帝国などの専制国家との戦いであった。連合国側の唯一の例外だった専制国家ロシアはロシア革命によって崩壊し、最後は民主主義国家が勝利を得た。
総力戦を戦った諸国の国民は、国家からの義務に応じると同時に、国家に対して堂々と権利を主張するようになった。その権利の代表的なものが参政権で、これは婦人も同様である。
米国では1920年に憲法修正19条によって婦人参政権が確立した。ただし人種問題は別である。
比較的保守的な英国でも終戦の年には男子普通選挙に加え有産婦人の参政権が認められ、敗戦国のドイツではワイマール憲法下に男女平等の普通選挙が始まることになった。
こうした世界的なデモクラシームードの中で、日本でも大正デモクラシーの下、吉野作造の民本主義などが広く受け入れられ、普通選挙を求める運動や、待遇改善の労働争議などが活発になった。
普選運動
大正8(1919)年2月11日、紀元節であり明治憲法公布の記念日でもあるこの日、日比谷公園では学生団体主催の集会が開催された。集会後には学生700人が皇居前までデモ行進を行い、
「デモクラシーは世界の大勢なり、民本主義は時代の潮流なり」
と普選実現を要求した。
この時はちょうど第41議会、立憲政友会(以下政友会)原内閣である。野党の立憲国民党や憲政会は衆議院議員選挙法改正案を出していたが、その内容は直接国税10円以上納付者から、2円以上に基準を下げて大選挙区にしろというものだった。
これに対して原敬内閣では参政権を直接国税3円以上納付者による小選挙区として、3月には205対144で政府案が可決した。
これによって有権者は146万人から300万人まで増えたが、院外つまり世間では、これではとうてい不十分としてかえって普選運動が盛り上がることになった。ジャーナリズム、知識人グループなどを中心に普選運動がますます活発に展開されたのである。
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週刊エコノミスト
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