教養・歴史書評

中国 「新時期文学」への想い=辻康吾

 香港の『蘋果(ひんか)(りんご)日報』の廃刊など、中国の内外情勢の一層の硬直化が進んでいる。その中で出版された盧茂君著『中国新時期文学在日本的伝播与研究』(2020年、知識産権出版社)は、つかの間とはいえ1980年代の中国現代文学の黄金期と、それを的確にとらえた日本の中国文芸研究の成果を記録するものとして注目される。前回の本欄でも取り上げたように文革直後の80年代(厳密には70年代末期から)は、中国の文芸復興期であった。とりわけ『クラス主任』(劉心武)、『傷痕』(盧新華)、『天雲山伝奇』(魯彦周)、『苦恋』(白樺)、『人妖之間』(劉賓雁)、『胡蝶』(王蒙)などに始まる多くの「新時期文学」作品は中華人民共和国成立以来、はじめて真の文学作品として中国内外で大きな注目を集め、とりわけ日本ではその多数が訳出された。

 同書はタイトル通りに、この時期の日本における新時期文学の翻訳、研究者、分析方法などを詳細に紹介したものだが、中国においてはその後、新時期文学が次第に否定的に扱われたこともあり、日本での反映を通じて同時期の中国文学の動向を知る絶好の書となっている。

 当時、私も熱読した新時期文学の中でとくに忘れられないのが戴厚英の『人啊、人!』(「あゝ、人間よ」)であった。50年代に右派分子として処分された大学教員が、文革が終わり復職、その間の中国知識人の苦しみ、とくに主人公が論じるマルクス主義とヒューマニズムの問題は、文革を頂点とする社会主義中国の不条理の数々を糾弾するものであった。実は私は北京で同書を入手し、人民大学の学生に貸したところ、多くの学生が回し読みをし、数カ月後に手あかにまみれ、だがカバーをかけて戻ってきたことを憶えている。

 同書だけではなく、あの新時期文学全体に共通するテーマはヒューマニズムの回復であったように思われる。だがその流れは89年の天安門事件で中断され、それ以降、中国の政治、社会体制は、支配者も被支配者もともに狎(な)れ親しんだ伝統的専制主義と、近代的党独裁理論の癒着体制へと進んできた。あの新時期文学が示した熱烈なヒューマニズムへの熱情がまた現れるにはかなりの時間がかかりそうである。

(辻康吾・元獨協大学教授)


 この欄は「永江朗の出版業界事情」と隔週で掲載します。

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