連載第1回 名ばかりの「対話の場」 合意“無視”で最終処分場が決まる「原発の穴」
本間照光(青山学院大学名誉教授)
6月23日、関西電力美浜原発3号機が再稼働した。福島第1原発の事故から10年を経たいま、日本国内で稼働している原発は10基となった。再稼働は、原発が抱えるさまざまな問題を棚上げにして進められている。その一つが、「核のごみ」と呼ばれる、高レベル放射性廃棄物等の処分の問題だ。
高レベル放射性廃棄物とは、使用済み核燃料の再処理における「浸出廃液」「廃棄される使用済み核燃料」など、強い放射能を持つ「放射性廃棄物」を指す。日本では、原子炉等規制法で規制されている。
北海道で表面化
核のごみは強い放射能を持つため、人々に健康被害が出ないように処分する必要があるが、日本では処分方法が確立されていない。「原発はトイレなきマンション」と呼ばれる所以である。
放射性廃棄物の問題は、原発を利用する国では、避けては通れない。現状、日本では、高レベル放射性廃棄物を、地下の深いといころにある「安定的な地層」に埋めるという「地層処分」を検討する動きが見られる。
最終処分場選定の問題が表面化したのは、処分地に立候補しようとしている自治体が現れた昨夏のことだ。まず、北海道電力泊原子力発電所がある古宇郡泊村に近い寿都(すっつ)町で昨年8月、最終処分場の調査を検討し始めた。
寿都町の町長が、国が示した最終処分場の選定における3段階のプロセスのうち、最初のプロセスとなるとされる「文献調査」への応募を検討する考えを明らかにし、住民向けの説明会を開催したのだ。
さらに、泊村に隣接する神恵内(かもえない)村でも、町の商工会が、村議会に対して応募の検討を求めた。
「文献調査」とは何か
ここで、文献調査が何かを知っておく必要がある。
資源エネルギー庁のホームページによれば、同庁が2017年に公表した、処分地の選定に当たって日本の火山・活断層の分布と特性を説明する「科学的特性マップ」に基づいて、最終処分の必要性やその選定方法などへの理解を深めていくための取り組みを進めると、している。同庁と、最終処分の実施主体である原子力発電環境整備機構、通称「NUMO(ニューモ)」が開催する「対話型全国説明会」はその一つだという。
このほか、最終処分事業、つまり地層処分の事業の詳細を知りたいという要望に対して情報提供も行うとしており、もし、事業を検討したいという自治体があれば、その住民が地層処分の事業化の議論を行うのに必要な資料として、全国およびその地域の文献やデータが調査・分析された上で、提供されるという。これが文献調査と呼ばれる、処分地選定のための“最初”のプロセスと説明されている。
過去に高知県東洋町では頓挫
文献調査を通じて、地域への影響などを議論し、さらに事業化を前向きに検討する場合は、法律に基づき地元の意見を聴く場が設けられ、そこで同意が得られれば、次のプロセスとなる現地での「概要調査(ボーリング調査)」に進むことになる、というのが同庁の説明だ。
そして、文献調査に応じるだけで最大20億円、概要調査に至れば、さらに最大で70億円が、最終処分場に決まるかどうかにかかわらず、交付される。
実は、2007年に、当時の高知県東洋町の町長が、文献調査に名乗りを上げた。しかし、町民や県民、隣接県などからも猛反発を受け、文献調査に進むことなく頓挫したという過去がある。それから応募を表明する自治体は、昨年の北海道の寿都町、神恵内村の両自治体まで出てこなかった。
住民が猛反発
その北海道で新たな動きがあったのは今年4月である。14日に寿都町、15日に神恵内村で、NUMOによる第1回目の「対話の場」が設けられた。対話の場は文献調査期間の約2年間に月1回程度開く予定とされた。
北海道新聞の報道によると、寿都町の初会合では、昨年10月の文献調査応募の際に町民と処分事業について「勉強していく」という姿勢を強調していた片岡町長が、今回は勉強だけにとどまらず、処分事業に「理解を深めていただくこと」を対話の場の設置目的とする会則案を示したという。これに対し、反対派の町会議員たちが「処分場建設ありきだ」と猛反発した。
さらに、約束した参加者の公募も町長が撤回したことで、町やNUMOへの不信感が鮮明になるなど、会合は紛糾したという。一方、神恵内村でも地域振興にNUMOが絡むことへの抵抗感があり、「住民主体」の議論を求める声があったという。周辺自治体では、核のごみ持ち込み反対条例の制定や反対決議が相次いでいる。
文献調査という段階は「存在しない」
このように、北海道では、文献調査への応募の検討を始めただけで、早くも住民からの反発が高まっている。
ここで、筆者が指摘したいのは、文献調査に対する、もっと根本的な問題だ。それは、この「対話の場」の目的であるはずの「文献調査」が、法令などに“独立した段階として”は、明記されていないという点である。
このため、一度プロセスが進み出してしまえば、いくら対話の場が設けられ、そこで住民たちから反対意見が多数出たとしても、自治体側には「応募を取りやめる」という決定権がないままに、最終処分場に決まってしまう恐れがある。
「虚構」の理由
この「虚構」とも言える仕組みについては、詳しく解説する必要がある。
まず、NUMOが2020年1月に公表した「地層処分に関する文献調査について」は、①文献調査(机上調査)、②概要調査(ボーリング調査)、③精密調査(地下施設での調査・試験)――の3段階を示し、施設建設地の選定をするとしている。
そして、各段階から次の段階へ進むばあいには、いずれにも「地域の意見を聴く(反対の場合は先へ進まない)」と付記している。
また、「自治体からの応募もしくは国からの申し入れを自治体が受諾」した場合に、文献調査に入るとしている。
しかし、放射性廃棄物の処分について定める「最終処分法」では、概要調査の一部として文献調査が位置付けられていて、文献調査として独立しているわけではないことは、以下の条文から分かる。最終処分法とは、正式名称を「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」といい、2000年6月に施行された。
「この法律において『概要調査地区』とは、精密調査地区を選定するため、文献その他の資料により将来にわたって……地層内の地下水の状況その他の事項を調査する地区をいう」(2条10項)
「この法律において『精密調査地区』とは、最終処分施設建設地を選定するため、前項に規定する調査(以下「概要調査」という。)により最終処分を行おうとする地層……調査する地区をいう」(2条11項)
このように、文献調査は概要調査に組み込まれた一部であり、両者に区切りはなく、最終プロセスの「精密調査」につながっている。しかも、先の「地層処分に関する文献調査について」では、次のとおりだ。
「文献調査の次の段階である概要調査地区の候補」
「文献調査では……概要調査地区の候補を検討します。適切かどうか明確な判断が困難な場合には、概要調査段階以降の現地調査により判断します」
つまり、適切かどうか判断できない場合でも現地調査をすることになっている。この場合の現地調査が、文献調査なのか概要調査なのか、事実上、境界はない。
これは、文献調査に手を上げた時点ですでに、「文献・データをもとに机上で実施する『文献調査』」にとどまらない道に踏み込んでいることを意味する。さらに、Q&Aの設問形式で、次のように説明している。
「Q. 過去の文献で10万年もさかのぼって情報を集められますか?」「A. ……年代推定に用いる岩石や火山灰といったサンプルは、ボーリング調査や地表調査等により採取されます。」(NUMOホームページ「文献調査のご案内」)
この説明に見られるように、「概要調査地区の候補を検討」する「文献調査」で机上で調査するだけだと称しながら、「概要調査段階以降の現地調査」に入るのである。文献調査では「候補を検討」し、その後に概要調査地区が決定され、概要調査が開始されるのではない。「候補を検討」がすなわち概要調査地区の決定にほかならなく、文献調査ですでに「概要調査段階以降」に踏み込んでいるのである。
しかも、その場合の「現地調査」には、机上調査ではなくボーリング調査も含まれる。それにもかかわらず、政府やNUMOの説明に合わせて、手を挙げた町長は、文献調査を「机の上で検証するだけの調査」だからとしている。「文献調査」段階はなく、それは「概要調査段階」そのものである。NUMO自身が、そのことを語っているのである。
「自治体に決定権なし」という穴が待ち受ける
そして、調査自治体や都道府県には「反対の場合は先へ進まない」ための決定権がないのである。次の条文に見られるように、「意見を聴き」「十分に尊重」「協力を得るよう努め」るに過ぎない。
「経済産業大臣は、……〔あらかじめ、〕当該概要調査地区等の所在地を管轄する都道府県知事及び市町村長の意見を聴き、これを十分に尊重してしなければならない〔聴かなければならない〕」(最終処分法4条「最終処分計画」5項)
「経済産業大臣は、前項の保護区域の指定をしようとするときは……知事及び市町村長の意見を聴かなければならない」(21条「最終処分施設の保護」2項)
「機構〔NUMO〕は……概要調査地区等及び最終処分施設の周辺の地域の住民等の理解と協力を得るよう努めなければならない」(60条「業務の運営」)
4条5項は当初案では〔 〕となっていた。国会審議の結果、「十分に尊重」との文言が入ったが、逆に「あらかじめ」が削除され事後でもよいとされた。これが、2000年の最終処分法案で国会審議の結果変更された唯一の箇所である。
さらに、「特定放射性廃棄物の最終処分に関する基本方針」(3条「基本方針」、4条「最終処分計画」)を定めるには、閣議の決定で足りるとされ、国会の議決すらも不要としている。
「経済産業大臣が基本方針を定めるには、閣議の決定を経なければならない」(3条4項)
「経済産業大臣が最終処分計画を定めるには、閣議の決定を経なければならない」(4条4項)
このように、核のごみの処分において、「文献調査」という段階はなく、その結果、途中で手を下ろすこともできない。政府やNUMOは、「反対の場合は先へ進まない」と説明しているが、最終処分法にそうした規定はない。自治体に決定権はなく、意見を聞かれるだけだ。
これを裏付ける、国会審議での委員の質問に対する以下のような政府の答弁もある。
「法律〔最終処分法〕の中で聞いておきたいのは、処分地選定に当たり、住民の同意あるいは自治体の同意を規定していない」(吉井英勝委員、衆議院商工委員会科学技術委員会連合審査会、2005年5月11日)
「同意という規定を含んでいるわけではございません」(河野博文政府参考人、同)
住民の同意なしに事業を進めるのであれば、「対話の場」は何のためか。これを虚構と言わずして何と言うのか。
虚構の先の「パンドラの箱」
この虚構の先に待っているものは何か。
進行中の福島原発事故の放射能汚染水海洋放出問題に、すでに明らかである。政府も東電も、地元自治体や漁協に対して「関係者の理解なしに、いかなる処分も行わない」と明言し、文書も提出してきた。それすらも、反古にされそうになっている。核のごみ問題がこのまま進むならば、歯止めなく投棄が強行されるのは不可避だ。
ギリシャ神話の「パンドラの箱」では、開けたとたんにさまざまな悪徳や虚偽、災いがあふれ出した。閉じたことで、箱には希望だけが残ったという。核のごみ箱ではどうか。開いたときには、すでにすべてが出尽くしていて、何も残っていなかったということになりかねない。すべてが失われたとき、そこに希望が残っているはずもない。