週刊エコノミスト Online虚構の「核のごみ」最終処分

連載第2回  “加害者”を守ってきた「原子力損害賠償制度」こそ“虚構”の大もと

本間照光(青山学院大学名誉教授)

 原発は、わずか数十年の今だけのために、今ここにあるリスクに向き合わないばかりか、その後の問題を先送りにしてきた。

 前回、第1回『名ばかりの「対話の場」 合意“無視”で最終処分場が決まる「原発の穴」』では、「核のごみ」と呼ばれる「高レベル放射性廃棄物等」の最終処分場が、候補とされる自治体の民意とは関係なしに決められてしまう恐れがあり、そうした虚構を生み出す法律や国の見解の危うさについて指摘した。

 原発事業者である電力会社が、リスクとコスト、責任を放棄してきた結果、福島原発事故と汚染水の海洋放出、核のごみ問題として顕在化した。

 この責任の放棄を可能にする仕組みが、原子力損害賠償制度(原賠制度)という保険だ。原賠制度によって、原子力の「平和利用」と核燃料サイクルの虚構が支えられてきた。

無限責任であるはずなのに…

 日本の原賠制度は、原発が本格操業する直前、1961年につくられた。

 原発で起きた事故の損害賠償については、「賠償措置額」(1200億円)までは、電力会社と政府間の補償契約か、電力会社と保険会社間の責任保険で支払われる。

 原子力損害賠償法(原賠法)では、万一原子力損害が発生した場合、原子力事業者は生じた原子力損害の全額を賠償する義務を負っている。これを、無限責任主義という。

 したがって、1200億円を支払えばそれ以上は賠償請求に応じなくてもよいわけではない。1200億円は、万一原子力損害が発生した場合、被害者に対して迅速かつ確実に賠償の支払いを行うための備えに過ぎず、1200億円を超える損害額については、電力会社が、自らの財力をもって支払う義務が残る。

 もし、事業者の財力などから見て支払いが困難な場合は、国が必要な援助を行うことが可能となっており、建て前としては被害者の保護に遺漏がないようにしている。

 ところが、原賠法が規定する無限責任が骨抜きにされ、電力会社の責任がいつの間にか消えてしまうような仕掛けがある。

水素爆発を起こした福島第一原子力発電所(2012年4月8日撮影)
水素爆発を起こした福島第一原子力発電所(2012年4月8日撮影)

いつの間にか“責任が霧消”する仕組み

 地震・噴火・津波による事故は責任保険から除外され、政府の補償契約に回されている。日本の原発においてこれらのリスクは極めて高いことから、保険の引き受け手がなく、国際的な再保険網にも乗らないからだ。

 さらに、事故原因が戦争などの場合は、電力会社の賠償責任そのものが免除される。その際は、被災者に対する「国の措置」によるとしている。今なお一般国民への戦争被害が放置されていることに照らしてみると、国の措置とは「無措置」にならざるをえないだろう。

 このように、原賠制度は加害者保護のための虚構だ。原賠制度で保障されている被害者への賠償は被害のごく一部分で、多くは制度の外に出されている。

 一部分に対応した原賠制度においても、保険業界の守備範囲はさらに限られた部分である。業界の手に負えないリスクほど政府の補償契約と、被害者自身や国民、電力利用者の側に回されている。

原発ビジネスに関わる業界は“リスクを引き受けない”

 原賠制度ができる前年、科学技術庁は、日本で原発事故が起きた場合の損害額の試算を原子力産業会議に委託した。同会議の試算では、損害は3兆7000億円、当時の国家予算の2倍以上に上った(1999年6月16日付毎日新聞)。

 それにもかかわらず、当初、賠償措置額はわずか50億円とされた。試算された損害の、わずか740分の1に過ぎない。保険会社そして背後の国際的再保険網が、それ以上は引き受けなかったからだ。

 その後、賠償措置額は段階的に引き上げられ、福島事故の1年前の2010年には1200億円とされたが、あれだけの事故が起きた後も、据え置かれたままである。

 据え置かれている理由は、保険業界が賠償措置額引き上げに反対し、電力業界も掛け金(保険料・補償料)引き上げに反対しているからだ。どちらの側も、リスクを引き受けたくない。自分たちの手に負えないと判断しているのである。

 事故が起きたら自分たちの手に負えないと言っておきながら、儲かるから原発を稼働するという完全に破綻した論理で、電力会社を中心に原発ビジネスは動いてきた。国もそれを先導し後押ししてきた。

 賠償措置額を超える部分は、原子力事業者に対する「国の援助」ということになっているが、いかなる援助なのかは不明だ。

国費10兆円が東電の損害賠償金の支払いに充てられた Bloomberg
国費10兆円が東電の損害賠償金の支払いに充てられた Bloomberg

“痛みがない”電力会社

 原賠法が「機能不全」に陥っていることを表しているのが、事故を引き起こした東京電力が、自分の資産を保持したまま、今なお存続しているという事実だ。これを政府も国民も見逃している。さらに言えば、東電の利害関係者、すなわち株主、貸手の金融機関、「電力債」の債権者、原発メーカーも一切傷ついていない。なぜか。

 その理由は、福島原発事故後の11年8月に成立した「原子力損害賠償支援機構法」という特例法の存在である(後に、「原子力損害賠償・廃炉等支援機構法」と改称)。この法律は、簡単に言えば、賠償措置額を超える原子力損害が生じた場合、原子力事業者が賠償すべき金を国が肩代わりすることを定めたものだ。

 同法のもと設置された、「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」を通じて、すでに総額でおよそ10兆円の国費が東電に投入されている。

 この10兆円が東電の損害賠償金の支払いに充てられた。東電は賠償金の支払いを「特別損失」として計上する一方で、注入された国費を「特別利益」として計上し、穴埋めしている。これによって東電は14年から8期連続で経常黒字を確保した。東電には痛みがない(図)。

原子力損害賠償制度は事故原因によって3つのケースに分類される
原子力損害賠償制度は事故原因によって3つのケースに分類される

加害者が守られている

 原賠制度では賠償措置額の他にも、無限責任、無過失責任主義、賠償責任の集中などの原則が原子力事業者(電力会社等)に課せられている。しかし、無限責任や賠償措置額が絵に描いた餅であるのは、すでにみたとおりだ。

 無過失責任主義では、事業者の故意・過失の有無にかかわらず、被害が発生したことをもって賠償責任を負うとしている。

 ところが、実際に福島原発事故が起きると、事故と被害との因果関係の証明は被害者に求められている。無過失責任主義ではなく、過失責任主義への逆戻りだ。そして、賠償の基準は「国策民営」の国が決め、賠償するかどうかは加害者である東京電力が決定している。

 賠償責任の集中にしても、原子力事業者に責任集中することで被害者救済をしやすくするという建て前のもとに、原子炉メーカーなど原子力関連事業者の責任を免じることになっている。原賠制度によって守られているのは、被害者ではなく加害者なのである。

権力と結びついた巨大ビジネス

 このように原賠制度では、原子力事業者(電力会社など)や保険会社など、業界の手に負えないリスクとコスト、責任が業界の外に出されているのである。

 公衆に被害をもたらす原発事故は起きない、仮に起きても、迅速かつ確実な賠償のためにあらかじめ準備することを義務付けられた「賠償措置額」を超えることはないとされてきた。それがまったくの虚構であったことは、福島の原発事故で赤裸々となった。

「国策民営」の名のもとに、原発が推進された。権力と結びついた、巨大ビジネスだ。それを支えるために形ばかりの原賠制度がつくられた。原賠制度では、被害者救済の建て前のもと、加害者である業界が守られてきた。

 このような大問題が「温存」されたまま、今また電力会社は原発を再稼働し始めている。福島原発事故の教訓が、何一つ生かされてないと言わざるを得ない。

次回、第3回は、「核のごみ」投棄で、最終的に電力会社の責任が消えてなくなるという「無法」とも言える状況について解説する。

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