連載第3回 「核のごみ」投棄で、最終的に電力会社の責任が消えてなくなる無法
本間照光(青山学院大学名誉教授)
前回の連載第2回では、「“加害者”を守ってきた『原子力損害賠償制度(原賠制度)』こそ“虚構”の大もと」として、権力と結びついた巨大な原発ビジネスが、原賠制度によって責任を放棄できる仕組みを説明した。
原賠制度に映し出された虚構は、核のごみ投棄でいよいよ究極の姿をあらわす。投棄は、リスクとコスト、責任の一切の投げ棄てとなる。
核のごみ投棄は、2000年に制定された「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」(最終処分法)によって進められる。核のごみ処分の「基本計画」(3条)および「最終処分計画」(4条)策定は閣議決定で足るとされ、国会の議決すらも要しないことになっている。さらに、施行規則で地元への説明会を省略できるとされている。
「悪い廃棄物」という虚構
最終処分法ができた前年、1999年に、原子炉等規制法が改定され、原子力発電所外の使用済み核燃料の貯蔵(中間貯蔵)が可能になった。電力会社が原発で負っていた所有者責任と管理責任のうち、中間貯蔵では管理責任が貯蔵管理者に移転する。
残った所有者責任にしても、電力会社が責任を負うのは「悪い廃棄物」を渡したときに限るのだという。一定の要件を満たしているなら、事故責任と賠償責任を負わなくてもよいとされる。
しかし、「悪い廃棄物」の証明は事実上不可能であり、電力会社が免罪されるのは必定だ。核のごみ投棄では、残った所有者責任も、最終処分事業者である原子力発電環境整備機構(NUMO)に移転するとされる(図)。
「中間貯蔵の時までは電気事業者の所有権〔所有者責任〕。所有権は変わるということですか」(辻本清美委員、衆議院商工委員会科学技術委員会連合審査会、2000年5月11日)
「管理責任と所有権が〔機構に〕移転するというふうに考えている」(河野博文政府委員、同)
核のごみだけでなく責任も放棄
ところが、事業主体の機構なるものの実態は、資金的にも人的にも、電力・原子力業界団体にほかならない。電気料金に上乗せして集めた資金を電力会社がNUMOに拠出し、役員は電力会社をはじめとする業界中心で固め、社員の6割は電力会社からの出向者が占めている。
核のごみが、原子力業界の化身の機構に手渡されたとたんに、電力会社と業界の責任の一切が消し去られる。最終処分法は、最終の「責任消去法」なのである。しかも、その機構さえも、いよいよのときに、核のごみと共に去りぬ、夢まぼろしと姿を消す。
最終処分法74条「業務困難の場合の措置」は、次のとおりだ。
「機構が経済事情の著しい変動、天災その他の事由により最終処分業務の全部又はその大部分を行うことができなくなった場合における当該最終処分業務の全部又は一部の引継ぎ、当該機構の権利及び義務の取扱いその他の必要な措置については、別に法律で定める」
その最たるものは、ほかならぬ埋めて消し去ったはずの核のごみによる被害が、現実化したときである。
未来に問題を丸投げ
核のごみの放射線が、ウラン原石なみに減衰するまでに、約10万年の隔離を要する。埋設処分施設についてさえ、調査20年、建設10年、搬入・閉鎖70年と、100年がかかる。
2016年6月7日付の東京新聞は、田中俊一原子力規制委員長(当時)の次のような発言を伝えている。
「事業者が規制の対象から外れた後、安全の担保は制度的管理に委ねるのが基本的な考え方。その制度的管理をどういう形で今後構築するかはこれからの議論」
管理する事業者が300年ないし400年存続するとし、その後は事業者の手を離れて「制度的管理」なるものに移行するが、それをどういう形で構築するかはこれからの議論だという。虚構の上に虚構が重ねられている。
核のごみは地下300㍍より深くに埋設する計画だが、福島第一原発では地下数十メートルの地下水の流入さえも制御できないでいる。事故があっても人間の手に負えず、死のごみから逃げるすべがない。被害者は救済されず、因果関係を証明することもできないだろう。
安全基準なき処分地選定
そもそも、核のごみ処理の安全基準はいまだつくられていない。「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」(最終処分法)の20条「安全の確保の規制」は、次のとおりだ。
「安全の確保のための規制については、別に法律で定めるところによる」
安全基準なき選定であり、まず処分地選定に着手し、事後に安全基準がつくられる。安全基準に照らした合否ではなく、処分地と試験結果に合わせて合格基準がつくられるのである。無理筋の選定基準がつくられ、選定されるのは必至だ。