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週刊エコノミスト Online 虚構の「核のごみ」最終処分

連載第4回 (最終回) 汚染水、廃炉、核のごみに見た「無責任・非科学・秘密主義」

本間照光(青山学院大学名誉教授)

 この連載の第1回から第3回までで見てきたのは、原発が、「加害者」、すなわち電力会社を守るためにいくつもの安全神話、虚構が重ねられてきたという事実である。その究極の姿が、福島原発事故、そして放射能汚染水の海洋放出と核のごみ投棄として現れたのである。

 現れた究極の姿は、核戦争を戦って勝利するとする狂気、そして、その核の「平和利用」と称された原発の実相にほかならない。一瞬の消滅であったり、忍び寄る死であったりするが、問われている大もとは「核時代」である。

汚染水処理も廃炉も「将来へ投げ棄て」

 福島第一原発の汚染水の海洋放出については、東電は「40倍に薄めて40年かかる」と説明している。しかし、これは、これまでにタンクに貯められた分量に限っての説明である。

 タンクに貯められているのは、汚染水のうち、捉えられた一部分だけである。凍土壁など対策はことごとく失敗し、タンク内の汚染水の量は増え続けている。破壊した原子炉やデブリの状況は、分かっていない。流れ込む地下水、冷却水、雨水の量が不明で、原子炉や敷地から出ていく経路も量も不明である。無限大そして無限の彼方に、続きかねないのだ。

 また、廃炉については、業界関係者が中心を占める日本原子力学会において、「福島原発事故の廃炉には100年から300年かかる」と試算している(日本原子力学会福島第一原子力発電所廃炉検討委員会「国際基準からみた廃棄物管理―廃棄物検討分科会中間報告―」、2020年7月)。しかし、そもそも日本では何をもって「廃炉」とするのか、その定義も法規もない。汚染水の処理にしても、廃炉にしても、「無責任な論理」に寄って立つ点で、共通している。

設置された放射性汚染水を貯蔵するタンク(福島県大熊町の福島第一原発、2018年2月7日)
設置された放射性汚染水を貯蔵するタンク(福島県大熊町の福島第一原発、2018年2月7日)

不可能な「10万年の管理」

 この無責任な論理は、核のごみを地下深くに埋める「地層処分」でも一緒である。

 核のごみの最終処分事業者である原子力発電環境整備機構(NUMO)は言う。「将来世代に負担を先送りしないよう、現世代の責任で地下深くの安定した岩盤に埋設する(地層処分する)必要があります。」(「地層処分に関する文献調査について」20年1月)。

 しかし、事実はまったく逆で、リスクと自らの責任を投げ棄て、「将来世代に先送り」し丸投げすることになる。

 まず、高レベル放射性廃棄物の放射線がウラン原石なみに減衰するまでに約10万年を要する。埋設処分施設についてさえ、調査20年、建設10年、搬入・閉鎖70年と、100年を要する。

 これについて、政府は次のように説明している。「300年ないし400年程度の間において事業者が存続することを想定することは、実質的に可能と考えている」(青木一哉原子力規制庁安全規制管理官、廃棄物・貯蔵・輸送担当、当時)。「事業者が規制の対象から外れた後、安全の担保は制度的管理に委ねるのが基本的な考え方。その制度的管理をどういう形で今後構築するかはこれからの議論」(田中俊一原子力規制委員会委員長、当時)(16年9月7日付東京新聞)。

 管理する事業者が300年ないし400年程度存続し、その後は事業者の手を離れて「制度的管理」なるものに移行するが、それをどういう形で構築するかはこれからの議論だという。しかし、事業者や制度が数百年も存続する前提で考えなければならないこと自体、無理がある。

 また、NUMOは、「核のごみはガラス固化体で地層処分する」としている。しかし、ガラス固化体自体の劣化の問題がある。続いてNUMOは、「ガラス固化体はオーバーパック(金属。設計寿命1000年)で覆い、その外はベントナイト(粘土)で覆う」、としている。だが、1000年の減衰を待つのは設計想定であって現実には不確実性があるし、10万年までの時間ははるかに遠い。途中までしか管理しないつもりだ。

 地下への隔離10万年という時空において、はるか昔に加害者は姿を消している。他方で、未来永劫にわたる将来世代が被害者となる危機にさらされ続ける。

地下420㍍にある地層処分場所「オンカロ」(フィンランド語で「洞窟」)。床面に掘削した円形の縦穴に使用済み核燃料を埋める(フィンランド・エウラヨキ、2019年9月12日)
地下420㍍にある地層処分場所「オンカロ」(フィンランド語で「洞窟」)。床面に掘削した円形の縦穴に使用済み核燃料を埋める(フィンランド・エウラヨキ、2019年9月12日)

「科学的」と称する非科学

 さらに、予定されている地層処分の場所として、北欧フィンランドやスウェーデンでも検討されているが、希望的観測でしかなく、実現可能性は未知数である。例えば、どのようにして運搬するのかといった問題や、運搬する際に通過する国・地域の許可を得られるのかといった問題など、すべて棚上げでぶち上げた願望にすぎない。

 日本国内で地層処分するにしても、日本列島は活発な変動帯にあり、地震、火山、活断層、地下水が、地層処分地を破壊する可能性が極めて高い。地下300㍍より深い地層に埋設するというが、福島第一原発事故炉へ流入する地下水は地下数十㍍であるが、それにすらも対応できていない。凍土壁など、ことごとく失敗し、今、汚染水の海洋放出が強行されようとしている。

 それにもかかわらず17年に経済産業省資源エネルギー庁が公表した「科学的特性マップ」では、埋設に「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い地域」は国土の65%、海岸線のほとんどが好ましいとされている。しかも、浸食などを含めて想定される相対的隆起が10万年に300㍍より小さければ好ましいとしている。

 だが、10万年という遠大な時間軸において、地形の変化をメートル単位で想定すること自体、科学的とは言えまい。したがって、これは「科学的特性マップ」などではなく、でたらめな想定に基づいた「非科学的マップ」と言うほかない。

オンカロでは使用済み核燃料を頑丈な筒状の容器(キャニスター)に入れて4個ずつ深さ7㍍の縦穴に埋設(フィンランド・エウラヨキ、2019年9月12日)
オンカロでは使用済み核燃料を頑丈な筒状の容器(キャニスター)に入れて4個ずつ深さ7㍍の縦穴に埋設(フィンランド・エウラヨキ、2019年9月12日)

「非開示」という悪習

 核のごみ処分場の誘致を検討する自治体では、議事すらも「非開示」とされている。核のごみ処分の調査受け入れについての寿都町議会の全員協議会の記録は開示されず、住民による開示請求訴訟が起きている。寿都町と神恵内村で開始された「対話の場」も、非公開だ。

 海洋放出について、政府が2年後の放出を表明した4月13日の翌日と翌々日、福島県は「関係部局長会議」を開いたが、議事の内容を非公開にしている。原発の周辺では、福島第一原発事故後もなお、「秘密主義」の悪習がはびこっているのである。

 15年、政府と東電が福島県漁連に「関係者の理解なしには処分をしない」と約束し、文書も交わしてきたが、容易に反古にされている。

 これが問われないままに、次のような動きとなっている。「県内の市町村や農協などでなる県原子力損害対策協議会(会長・内堀雅雄知事)は21年6月15日、代表者会議を開き、国と東電に、早期に風評対策や賠償の枠組みを示すことなどを求めることを決めた。」(21年6月16日付朝日新聞福島県版)。

 安全性や放出の是非を棚上げし、被害者になるであろう側から加害者になるであろう側に対して、事前に「放出の賠償『早期に枠組みを』」と持ち掛けている。金銭で済ますことができないことを、金銭づくで決着しようと被害者側が求めているのである。これも非公開であってみれば、被害者と加害者の違いがあるのかすらも判然としない。

 核のごみ処分地調査においても、経済産業大臣は地元自治体に対して同様の「約束」をしている。しかし、結末はすでに海洋放出で出ているといわざるをえない。いのちと安全を守る遠い約束を託すには、あまりに不透明で不誠実だ。それが、幕が開いたばかりの今、早くも明らかではないか。

「国際原子力ムラ」が先導

 ところが、海洋放出について、米国政府は「透明性のある決定」「感謝する」としている。「米国務長官は、ツイッターに『福島第一原発の処理水の処分について、日本が透明性のある決定をしたことに感謝する。日本政府が継続的に国際原子力機関(IAEA)と調整していくことを期待している』と投稿した。」(21年4月13日付朝日新聞デジタル版)。「放出後に海が汚染されていないことを政府・東電が検査し、そのデータを国際原子力機関(IAEA)や専門家にチェックしてもらう」(21年4月14日付毎日新聞、)。

 日本政府が海洋放出を表明した直後のことだ。日本の原子力政策が、米国政府と「国際原子力村ムラ」と連携して進められているばかりか、それらに先導されていることがうかがわれる。

 しかもそれさえも、表に出る放出の主体は原発事故を起こした東電であり、安全性確認なしの放出である。「処理水、実測確認せず放出―東電計画」「濃度の測定結果が出る前に流す方針を明らかにした」(21年6月12日付毎日新聞)。

日本政府は4月13日、福島第一原発(奥)から排出されている放射性物質を含む100万㌧以上の処理済みの汚染水を、福島県沖の太平洋に放出する計画を承認した(福島県浪江町)
日本政府は4月13日、福島第一原発(奥)から排出されている放射性物質を含む100万㌧以上の処理済みの汚染水を、福島県沖の太平洋に放出する計画を承認した(福島県浪江町)

「死の箱」を開けないために

 福島では、地震・津波という自然災害が、命と暮らしの根源を脅かす原発災害へと続いた。人類史上、初めてのことで、核時代の災害であることを鮮明にした。気が付かなかったが、日常も非日常としての災害も、これまでとは別ものになっていた。私たちがいる今ここは、核時代のただ中であり、核時代の日常であり非日常にほかならない。「核時代以前」と「核時代以後」の現代とは、同一線上にとらえられない。

 わずか数十年の今だけのために、原発が稼働され、虚構が重ねられ、問題は先送りされてきた。そして、起きないはずの原発事故がいざ起きると、加害者は守られ、被害者と国民に犠牲と負担が強いられる。原発は、人々を陥れる「落とし穴」が、さまざまに掘られているばかりか、いずれの立場にあっても、人々が自ら網の目に絡め取られていく罠が広がっていることは、この連載で見てきた通りだ。

 連載第1回で説明したように、核のごみの最終処分場を選ぶために設けるとされた「文献調査」という段階は、実際にはなかったし、処分場の候補地にいったん手を挙げた自治体は、途中で手を下ろすこともできない。また、そのことが報道もされていない。そうした舞台の上で、賛成・反対と応酬が繰り広げられているのである。ある種の狂気が支配し、正気が見えなくなる。あたかも、体制に反対する者の存在を認めず、個人が異を唱えることを許さない「全体主義」の様相である。

 核のごみ箱は、開けてはならないという意味で、ギリシャ神話にある「パンドラの箱」にも似ている。だが、パンドラの箱が災いをまき散らした後に「希望」だけは残ったのに対して、核のごみ箱には希望すら残されていない。筆者に言わせれば、まさに「死の箱」である。

 ただ、今ならまだ、わずかに望みがある。それは、汚染水や核のごみを捨てるのではなく、「核(核兵器、原発)を捨てる」という道を選ぶことだ。そこに、破局を回避できる可能性がある。そうすれば、私たちは、次世代に「未来」を残すことができる。そのためにも、この連載で見てきた「虚構」に惑わされず、「真実」に向き合った冷静な判断が不可欠なのである。

(終わり)

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