小説 高橋是清 第152話 ワシントン会議=板谷敏彦
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(前号まで)
原敬首相が刺殺される。ワシントン軍縮会議が迫る中、西園寺公望は是清を後継者にすることを提案、是清は固辞するものの押し切られ内閣総理大臣に就任する。
大正10(1921)年11月12日(米国時間)、日本では原敬が暗殺され、高橋是清が後継首相にまさに任命されようかというタイミングである。
米国の首都ワシントンでは、欧州大戦後の海軍軍縮と太平洋問題を討議するワシントン会議が開催された。米、英、日、仏、伊の5大国のほか、オランダ、ベルギー、ポルトガル、中国の4カ国代表が参加し会議は翌年の2月6日まで続いた。
これは国際連盟の主催ではなく、米大統領ウォレン・ハーディングの提唱の下、米国主導で開催された国際会議だった。米国は国際連盟の提唱者でありながら、議会の反対で加盟していない。
軍縮の妥協点
米国は、この会議で膨張する海軍予算を削減し、同時に太平洋における安全保障や門戸開放を含む中国問題を整理しておこうと考えて、日英同盟の廃止など、具体的な目標を設定しアジェンダを準備していた。米国は欧州大戦によって47億ドルもの対英債権を持つに至り英国に対する発言力を強めていた。英国の世界覇権であるパクス・ブリタニカがパクス・アメリカーナに移行する過程にあった。
一方英国は、戦後の財政負担が厳しいことから、諸権益は守るとしても細かいことは決めずに、漠然と軍縮の進展を期待していた。
日本はというと、米国から会議の招待を受けた際、進行中の艦隊建設に制限を加えられそうなことから、メディアは国民感情を代弁して「国難来(きた)る」とあおった。だが、政権を担う原敬や是清からすれば、大正10年度一般会計予算の49%は軍事費であり32%は海軍費であった。景気低迷下の財政難の状況から軍事費の削減につながるこの会議の趣旨はまさに渡りに船だった。
日本の全権代表には原内閣の海軍大臣である加藤友三郎大将が選ばれた。この提督は日本の建艦目標である八八艦隊の実現は財政的に厳しいこと、また本当の戦力とは軍艦の数よりもその国の経済力であることをよく理解していた。軍事費が国の経済成長を圧迫しては何もならないのである。
加藤に加えて貴族院議長徳川家達(いえさと)と駐米国大使の幣原喜重郎が加わり全権は計3名となった。
また当初は経済関係の議論も予想されたので、日銀総裁井上準之助の派遣も考慮されたが、結局理事の深井英五が全権代表の随員となった。
深井はこれまでに徳富蘇峰と松方正義のそれぞれのお供、日露戦争時に是清と3回、それに欧州大戦後のパリ講和会議にも参加しているので、これで都合7回目の洋行になる。
日本が関わる会議の議題は大きく三つである。
一、主力艦保有量の決定
一、日英同盟の継続問題
一、中国問題
最初の総会で議長に選任された米国代表チャールズ・ヒューズ国務長官は、会議の冒頭から根回しなしで、一般聴衆…
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週刊エコノミスト
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