小説 高橋是清 第153話 ジェノヴァ国際経済会議=板谷敏彦
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(前号まで)
原敬首相が暗殺された。後継に是清の名が挙がり、是清は固辞するものの内閣総理大臣に就任する。ワシントン軍縮会議で日本は米国案を受け入れ、英米協調外交路線を維持する。
大正11(1922)年2月18日、ワシントン会議を終えた日本銀行理事の深井英五は、ジェノヴァ国際経済会議に参加するためにニューヨーク港を出帆してロンドンへと向かった。
欧州大戦後のパリ講和会議では、ドイツの賠償金額の決定は保留とされ、以降も継続して会議が開催されていた。
会議は12回にもおよび、1921年4月の第2回ロンドン会議においてようやく総額1320億金マルクが決定されたのである。
こうした一連の会議に日本代表として、あるいは全権代表の補佐として参加していたのが、ロンドンに駐在する国際財務官の森賢吾である。
欧州大戦以降の日本は五大国の一角としてこれらの会議への主体的な参画を求められた。
ケインズの失望
賠償金額の1320億金マルクとは戦前の金本位制当時のマルクの価値を金価格で表したもので、ドイツは実質上金(純金4万7256トン相当)での賠償を求められた。この金額は1913年のドイツ国民総所得の2・5倍に相当する。
英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、理屈に合わない高額な賠償金を求める英仏の代表に失望し、パリ講和会議の途中で帰国して『平和の経済的帰結』を著した。
ドイツが金で賠償金を支払うためには、金を稼がなければならない。金を稼ぐ方法は、金山を見つけるか、貿易によって稼ぐしかない。仮にドイツがこの量の金を貿易で稼ぐようであれば相手国が必要だ、その時は英国やフランスの主要産業はドイツの輸出攻勢によって壊滅しているであろうとケインズは指摘した。賠償金額はありえない数字だというのだ。
この本は1920年に世界で10万部が売れるほどの当時としては大ベストセラーとなった。こうしたアカデミックで合理的な理屈があるにもかかわらず、英仏は国民のドイツに対する懲罰感情に押されて巨額な賠償金にこだわった。
この時欧州は戦後の物資不足であるのに、為替が弱いために購買力がなく、米国の余剰物資は高くて売れずに世界経済は不景気だった。
ドイツは欧州大戦で最終的に敗戦したにもかかわらず固有の領土を1ミリも侵されなかった。生産設備は健在で、なまじ賠償金懸念で為替がマルク安になると輸出が伸びるような状況だった。
一方でフランスは戦勝国でありながら工業地帯をドイツに占領されていたために生産設備の回復が遅れ、景気の良いドイツに対する怨嗟(えんさ)の声は高まるばかりだった。理不尽な賠償金額請求も強硬な取り立ても心情的には理解できるものだった。
4月10日から始まったジェノヴァ国際経済会議はそれまでのドイツの賠償問題とは別に、欧州経済復興を話し会うための会議だった。そのため参加国は31カ国におよび、ドイツとソ…
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週刊エコノミスト
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