宏池会政権への期待と幻想「落ち着いた保守政治」は遠く=平田崇浩
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宏池会政権への期待と幻想 「落ち着いた保守政治」は遠く=平田崇浩
「落ち着いた保守政治」。国内の分断を深めた安倍晋三・菅義偉長期政権のさなか、永田町・霞が関の一部でささやかれた岸田文雄首相待望論のキーワードがこれだ。小泉純一郎政権以来続く劇場型政治に別れを告げ、議論を通じて一致点を探る民主主義の王道に戻せるのは「保守本流」の宏池会(岸田派)なのかもしれない──という、ある種ノスタルジックな期待感だ。
消えた「岸田カラー」
保守本流の源流は戦後の軽武装・経済重視路線をかたちづくった吉田茂までさかのぼる。宏池会とともにその流れをくむ平成研究会(竹下派)は9月の自民党総裁選で岸田氏を支持した。
保守本流の首相誕生は宏池会の宮沢喜一(在任期間1991年11月~93年8月)、平成研の橋本龍太郎(同96年1月~98年7月)と小渕恵三(同98年7月~2000年4月)以来。冷戦終結、バブル崩壊後のかじ取りに苦心しながら志半ばで退いた3首相がしのばれる。その後の日本経済は「失われた30年」の泥沼にはまり込んだまま、安倍・菅政権の9年を経て現在に至る。
保守本流政権待望論の裏には、昭和の残り香が感じられた20世紀末へのノスタルジーが潜むのかもしれない。あそこからやり直せたらどんなに良いか、と。だが、安倍・菅政権の「根拠なき楽観論」と「規範軽視の政治主導」に振り回されてきた官僚組織は、そんな夢想を抱く余裕もないほどに疲弊しているように見える。
もちろん、この30年間の停滞から脱することのできなかった責任は彼ら行政機構、我々マスメディアを含む日本社会全体にある。それを代表するのが政治であり、国論を敵と味方に二分して停滞の責任をなすりつけ合う政治から、もう一度前を向き、話し合いによって国論の統合を図る「落ち着いた保守政治」への転換を、私も期待する者の一人である。
昨年9月の総裁選で岸田氏が掲げた「分断から協調へ」が政治の転換を意識していたのは間違いない。しかし、岸田氏への国民的な期待は高まらず、安倍元首相の出身派閥・細田派など党内の各派閥は、竹下派を含め菅前首相支持へと雪崩を打った。
1年後の総裁選で岸田氏の公約から「分断」の文字は消えた。1カ所だけ、新自由主義的政策が「富める者と富まざる者、持てる者と持たざる者の分断」を生んだとして「新しい日本型資本主義」への転換を唱えた箇所には残ったが、「経済の分断、社会の分断、国際社会の分断」が深まっていると危機感を訴えた昨年の総裁選公約のトーンとは明らかに異なる。
新自由主義は世界の潮流であって、経済面の格差を「分断」と言っても直接的なアベノミクス批判にはならないという判断だろう。「国際社会の分断」は多分に当時のトランプ米政権を意識したものだった。だが「社会の分断」を改めて指摘すれば、直ちに「安倍政治」批判と受け取られかねない。
岸田氏は昨年の…
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週刊エコノミスト
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