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小説 高橋是清 第167話 是清引退=板谷敏彦

(前号まで)

 加藤高明内閣が発足、外務大臣に幣原喜重郎が就任する。幣原は駐米大使時代、病のため埴原(はにはら)正直と交代、埴原は排日法案成立阻止に向け活動を続けていた。

 大正13(1924)年6月、第二次護憲運動によって成立した護憲三派による加藤高明内閣は、米国からの排日移民法騒動のさなかにスタートを切った。

 7月1日の加藤首相による施政方針演説では次のことが強調された。

・行政整理を断行し歳出を抑制

・ソビエトとの国交回復

・普通選挙法を通常国会に

・貴族院改革を慎重にすすめる

・国債発行を抑制し、国債の信用回復に努める

 震災復興のための外債が、高利回りの国辱国債となったことへの対策である。また震災復興のための予算付けも急がれる。

護憲三派内閣

 9月、中国における第2次奉直戦争が始まり、是清が大陸への干渉を主張して幣原喜重郎と議論していた頃、つまり幣原に茶碗酒を勧めていた頃でもある。

 是清は立憲政友会(以下政友会)の幹部小泉策太郎を赤坂表町の屋敷に呼ぶと、

「政友会総裁を辞めたい」

 と漏らした。

「察しはついておりました」

 と、小泉は答えた。

 世間では、政友会は資金に窮しているとうわさが立っていた。5月の第15回衆議院議員総選挙では、原が政友会の金庫に残した90万円のほか、幹部たちが調達した資金を合わせて160万円ぐらいの費用がかかったといわれている。帳尻合わせは総裁の仕事である。

 是清は横浜正金銀行の頭取や日銀総裁、大蔵大臣をやり、日露戦争での報奨金ももらったから世間では金持ちだと思われている。だが、是清は金銭欲が強いわけでも吝嗇(りんしょく)家でもなかった。

 原に呼ばれて政友会に参加した時も持参金として相当の資金を提供したはずなのだ。特定のスポンサーもいないから、逆に大胆な金融政策もとれる。しかし総裁をやっていると、どうしても金がかかる、趣味で集めていた仏像も売らねばならず、次第にその数を減らしていた。

 是清は自分の後任には加藤内閣で司法大臣をやっている横田千之助が党歴も長くふさわしいと考えていたが、あいにく横田は病弱だった。

 であれば外部から後藤新平、あるいは伊東巳代治(みよじ)あたりを呼ぶのも良策とも考えたが、2人ともすでに高齢である。

 そこで目をつけたのが、原敬が元気な時から政友会とつながりを持つ陸軍の田中義一であった。彼ならまだ60歳だ。原内閣で陸海軍が予算の取り分で衝突した時に、田中は譲った。是清にはその姿勢が強く印象に残っていたのである。意を受けた小泉は横田らと相談して田中に対して裏面工作を始めた。

     *     *     *

 この年の12月から翌大正14(1925)年3月にかけて開催された第50回通常議会では、普通選挙法案が提出された。法案は枢密院による修正が付され、多数派を誇る衆議院ではともかく、貴族院との間で数多くの文言の修正を加えながらも3月末には何とか可決成立にこぎつけた。

 納税額に関係なく25歳以上の男子に選挙権、30歳以上の男子に被選挙権が認められ、これによって329万人だった有権者は1241万人にまで拡大されたのである。ちなみに…

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