小説 高橋是清 第173話 モラトリアム=板谷敏彦
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(前号まで)
震災手形問題が日本経済を直撃、東京渡辺銀行、鈴木商店破綻、台湾銀行は休業を決定、取り付け騒動が全国に広がる。万策尽きた若槻内閣は総辞職する。
昭和2(1927)年4月21日木曜日午前10時ごろ、日銀市来総裁、土方副総裁、それに三井銀行の池田、三菱銀行の串田らが日銀による特別貸し出しを陳情しに官邸にやってきた。
その頃、是清のもとへは、十五銀行休業の号外が世間に出回って、朝早くから大都市はもちろん、地方の都市に至るまで銀行に取り付けの人々が押し寄せ、その数は300、500、1000人にも及んでいるとの報告が続々と入っていた。日本列島は大恐慌の様相を呈していた。
2日間の自主休業
これに対して、是清はモラトリアム(支払い猶予令)を緊急勅令で発令して、預金封鎖をすることで取り付けの沈静化を図るしかないと考えていた。銀行倒産に対する不安心理が預金の現金化を急がせているのに、取り付け騒ぎが拡大すれば、不安心理はますます増幅するばかりだからだ。
ここでのモラトリアムは関東大震災の時と同じで、4月22日以前に発生し、5月12日までの間に支払いをすべき銀行預金を含む借金や手形を、当初の支払日から21日間先まで猶予できるというもので、急いで銀行窓口へ走る必要をなくすものだった。ただし、当座の資金を考慮して1日500円以下の預金の引き出しは例外となっていた。
しかしながら、天皇陛下が出す勅令には枢密院による諮問が必要で、それには丸1日、悪くすれば2日はかかる。その間に政府がモラトリアムの準備をしていることが世間に知れ渡ると、預金者は預金を下ろせなくなる前に現金を手にしようとますます銀行に殺到することになるだろう。問題はこのモラトリアム実施までの空白の時間22日(金曜日)と23日(土曜日)だった。
是清は午後の閣議で、緊急勅令を出して21日間のモラトリアムを全国で実施すること、また臨時議会を召集して台湾の金融機関の救済および財界安定に関する法案に対して協賛を得ることの2案を提案し閣議の同意を得た。
閣議終了後に是清は民間銀行のリーダーである池田と串田を呼んだ。
「モラトリアムを緊急勅令でやることにした。ついては枢密院に諮るから発令に数日はかかるだろう。問題は明日明後日(22、23日)の両日だ、取り付けが起こらないよう、銀行は自発的に休業してくれ」
この日の午後あたりから、新聞記者筋から政府は非常対策をとり、その準備の間、銀行は2日間ほど休むのではないかとうわさが出ていたので、2人は是清の意図をすぐに理解した。
この日午後9時、東京手形交換所の臨時総会で2日間の銀行休業が決議された。池田と串田は会員に詳しい理由を話せないので、「政府は何かを計画しているから、我々は2日間休業してそれを待とう」と説明したが、銀行経営者たちにはそれで充分だった。大阪でも2日間自主休業はすんなりと賛成を得られた。
政府は午後9時50分に、「政府は財界安定のため、徹底的救済を執ることに閣議で決定せり」とだけ発表した。
是清はその足で倉富勇三郎枢密院議長を訪問、「明日、緊急勅令案が枢密院にご諮詢(しじゅん)になる手はずですが、就いては事態の緊急性に鑑み、一刻も速やかに議事を終了し、財界の不安を一掃せられたい」と懇願した。同時刻に、前田米蔵法制局長官は平沼騏一郎副議長を訪ねて同じお願いをしていた。こうしてモラトリアムの準備は整ったのである。
是清が自宅に帰ったのは22日、それでも朝にはいつものように5時に起きて、8時には官邸に出勤していた。
家族は何も言わないが、是清は心配していることを察…
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週刊エコノミスト
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