週刊エコノミスト Online 集中連載 今考える「新自由主義」
集中連載 今考える「新自由主義」 第3回 日本の生産性を押し下げる低賃金 米国型コーポレート・ガバナンス導入が病巣=中岡望
「新しい資本主義」を議論するには、米国のネオリベラリズムの背景にある思想性、理論性、歴史性を理解する必要がある。
同時に日本においてネオリベラリズム政策やネオリベラリズムに基づくコーポレート・ガバナンスがどう導入されたかを明らかにしない限り、意味のある議論はできない。
真の狙いは労働市場の自由化
日本にネオリベラリズムの政策を導入したのは小泉政権である。バブル崩壊後の長期低迷を打開する手段として「規制緩和」や「競争促進政策」が導入された。
だがネオリベラリズム政策の最大の狙いは、米国同様、労働市場の規制緩和であった。労働市場の自由化によって非正規労働や派遣労働の規制が大幅に自由化された。それは企業からすれば、大幅な労働コストの削減を意味した。
労働市場の自由化によって非正規雇用は大幅に増加した。1984年には非正規雇用は15.3%であったが、2020年には37.2%にまで増えている。非正規雇用のうち49%がパート、21.5%がアルバイト、13.3%が契約社員である(総務省「労働力調査」)。賃金も正規雇用と非正規雇用では大きな格差がある。
2019年の一般労働者の時給は1976円であるが、非正規労働者の時給は1307円である。600円以上の差がある。なお短期間労働に従事する非正規労働者の時給は1103円とさらに低い(厚生労働省「賃金構造基本統計調査」)。岸田首相は最低賃金1000円(全国加重平均)を実現すると主張しているが、米国ではバイデン大統領は連邦最低賃金15㌦を目標に掲げている。
現在の為替相場で換算すると、約1700円に相当する。日米で時給700円の差がある。かりに最低賃金1000円が実現しても、非正規雇用は社会保険費など企業負担がなく実質手取りは1000円を下回り、とても最低賃金でまともな生活を送れないのが実情である。
労働市場自由化の弊害を軽視した小泉改革
米国型コーポレート・ガバナンスの導入も日本に大きな影響を与えた。戦後の日本経済の成長を支えてきた「日本的経営」はバブル崩壊後、有効性を失ったと主張された。日本型経営では最大のステークホールダーは従業員であり、メインバンクであり、取引先であった。
株主は主要なステークホールダーとはみなされていなかった。だが米国型コーポレート・ガバナンスは株主中心に考えられ、日本でも企業価値、言い換えれば株価を上げることが経営者の責務と考えられるようになった。労働者は「変動費」であり、経営者は従業員の雇用を守るという意識を失っていった。
かつて経営者の責務は従業員の雇用を守ることだと言われていた。米国型コーポレート・ガバナンスは、日本の労使関係を根底から変えてしまった。同時に経営者は米国と同様に巨額の報酬を手にするようになる。
米国や英国では1900年代にはネオリベラリズム政策の弊害が目立ち始めていた。貧富の格差は急速に拡大し、深刻な社会問題を引き起こしつつあった。だが小泉改革では、そうした弊害について真剣に検討することなく、労働市場の自由化が強引に進められていった。
同時に終身雇用は破綻したとして、雇用の流動化が主張された。雇用の流動化は、言葉は魅力的だが、最も大きな恩恵を得るのは企業であって、従業員ではない。企業は高賃金の従業員に早期退職や転職、副業を勧めることで、大幅に労働コストを削減できる。
米国と違って日本では整備された転職市場が存在せず、さらに「同一労働同一賃金」や米国の401(k)のような「ポータブルな企業年金制度」などもなく、転職の負担はすべて従業員に掛かってくる。
日本の企業内組合は交渉力を発揮できない
岸田首相がどのような「新しい資本主義」を構想しているのか定かではない。成長すれば、その成果が労働者にも及ぶという供給サイドの経済学が主張する“トリクルダウン効果”論は歴史的にも、理論的にも破綻している。
成長すれば、最終的に恩恵はすべての人に及ぶというのは幻想である。企業は常に賃金上昇を抑えようとする。決して温情で賃上げをするわけではない。過去の企業行動を見れば、日本で行われている「成長」と「分配」を巡る議論は空論そのものであることが分かる。
賃上げをした企業に税の優遇措置を講ずるという報道もなされている。かつて安倍晋三首相は経済団体に賃上げを行うよう要請したことがあるが、企業は応じなかった。経営者は従業員に対する“温情”から賃上げを実施することはないだろう。
従業員と労働者が正当な賃金を得るには、企業と拮抗できる組織と仕組みが必要である。日本の企業は正規社員を減らし、非正規社員を雇用することで労働コストを大幅に削減して利益を上げてきた。米国同様、その利益の多くは株主配当に向けられるか、内部留保として退蔵されてきた。
さらに経営者の報酬も大幅に引き上げられた。本来なら組合は正当な労働報酬を受け取る権利がある。米国の労働組合は産業別組合で企業との交渉力を持っているが、日本の労働組合は企業内組合では、企業に対する交渉力を発揮することは難しい。
日本の時間当たりの付加価値は世界23位
低賃金は生産性向上を妨げる。本来なら企業は賃金上昇によるコストを吸収するために生産性を上げる努力を行う。だが低賃金労働が使える限り、企業は資本コストの高い合理化投資を積極的に行わない。
企業は労働コストが上昇すれば、競争力が低下するために合理化投資を行わざるを得ない。大胆に言えば、日本企業の生産性が低いのは、賃金が安いからである。
先進国の中で日本の生産性は最も低い。2020年の1人当たりの日本の労働生産性はOECD38カ国のうち28位(7万8655㌦)で、24位の韓国(8万3378㌦)よりも低く、ポーランドやエストニアと同水準である(「労働生産性の国際比較2021、日本生産性本部」)。
また。日本の時間当たりの付加価値は49.5㌦で、23位である。1位のアイルランドは121㌦、7位の米国は80㌦である。韓国は32位で43㌦である。なぜ、ここまで低いのか。
経営者報酬と配当を増やす経営が日本を弱くした
日本特有の給与体系も影響している。日本では基本給の水準が低いため、残業手当が付かなければ、十分な所得を得られない。その結果、同じアウトプットを生産するために、残業を増やして長時間労働を行うことになる。
それこそが低生産性の最大の要因の一つである。昨今、「働き方改革」で残業を削減する動きがみられるが、残業時間の短縮は残業の減少と所得の減少を意味する。短時間で同じ労働成果を上げることができれば、それは生産性向上を意味し、基本給の引き上げで従業員に還元されるべきものである。
だが、企業は所得が減った従業員に副業を推奨するという奇妙な議論が横行している。「労働の流動化」を口実に賃金引き下げと雇用の安定性が損なわれている。労働賃金を低く抑え、生産性向上投資を抑制し、目先の利益を増やし、経営者報酬と配当を増やし、株価を上げるという経営は、日本経済を間違いなく弱体化させてきた。
存在価値を無くした日本の労働組合が低賃金の要因
米国と同様に日本でも労働組合参加率は低下の一途をたどっている。戦後の1949年には労働組合参加率は55%であった。その後、参加率は低下し、1980年代に20%台にまで低下した。
2021年の参加率は16.9%にまで低下している(労働組合基本調査)。米国ほどではないが、労働組合は急激に衰退し、社会的影響力の低下は目を覆うべき状態である。その背景には労働組合幹部が「労働貴族」となって特権を享受しているという“反労働組合キャンペーン”が行われたことが影響している。
労働組合は国民の支持を失い、現在では社会的存在感するなくなっている。日本の労働組合運動の衰退は世界でも際立っている。全くと言っていいほど企業に対する交渉力を失っている。
日本で“スト”はもはや死語
高度経済成長期に賃金上げをリードしてきた「春闘方式」が崩壊し、企業内組合を軸とする労働組合は企業に取り込まれ、十分な交渉力を発揮できなくなった。労働組合運動は連合の結成で再編成されたが、連合はかつてのような影響力を発揮することができない。
目先の政治的な思惑に振り回されている。賃上げに関して十分な“理論武装”をすることもできず、ほぼ賃上げは経営者の言いなりに決定されているのが実情である。
労働組合の弱体化は「労働損失日」の統計に端的に反映されている。2018年のストによる労働損失日は日本ではわずか1日であるのに対して、米国は2815日、カナダは1131日、英国は273日、ドイツは571日、韓国が552日である(労働政策研修機構『データブック国際労働比較2019』)。日本と同様に組合参加率が大幅に低下している米国ですら、賃上げや労働環境を巡って労働組合は経営と対立し、要求を実現している。
日本では“スト”はもはや死語となっている。格差是正や賃上げを要求する「主体」が日本には存在しないのである。その役割を政府に期待するのは、最初から無理な話である。それが実現できるとすれば、日本は社会主義国である。
税制、最低賃金、非正規問題の構造的な見直し
労働市場で個人が企業と向かい合い、交渉することは不可能である。両者の間には圧倒的な力の差がある。だからこそルーズベルト大統領は労働者の団結権と団体交渉権を認め、全国労働関係委員会に労働争議の調整役を委ねたのである。小手先の制度改革ではネオリベラリズムの弊害を断ち切ることはできない。
バイデン大統領は中産階級の失地回復こそが格差是正の道であり、繁栄に至る道であると主張している。そのためには労働組合が企業に対して十分な交渉力を持つ必要があると説いている。
一人ひとりの働く人が、誠実に働けば、家族を養い、子供を教育し、ささやかな家を購入するに足る所得を得る制度を再構築することが必要である。非正規とパート労働で疲弊した国民は決して幸せになれない。平等な労働条件、公平な賃金、雇用の安定を実現することが「新しい資本主義」でなければならない。
貧富の格差拡大は社会を分断し、深刻な貧困問題を引き起こす。長期的には経済成長を損なうことになる。そうした事態を回避するには現在の制度の構造的な見直しが要である。
税制の見直しや最低賃金の引き上げに加え、正規労働者と非正規労働者に二分された労働市場の見直しも不可欠である。労働者や消費者などさまざまな立場の人の意見を反映させるようなコーポレート・ガバナンスを構築する必要がある。
ネオリベラリズムは「既得権構造」に浸透
ネオリベラルの発想から抜け出す時期に来ている。そのためには、労働規制、税制、コーポレート・ガバナンス、労働組合の役割などの見直しは不可欠である。特にコーポレート・ガバナンスに労働者や消費者などの意見が反映できるようにコーポレート・ガバナンスの改革は不可欠である。
米国におけるネオリベラリズムの検討でみたように、その背後には明確な国家観の違いが存在している。そうした大きな枠組みの議論抜きには、新しい展望は出てこないだろう。
ネオリベラリズムは既得権構造に深く組み込まれている。それを崩すには、社会経済構造を根底から変える必要がある。激しい抵抗に会うのは間違いない。これからの議論で岸田首相の“本気度”と“覚悟”が問われることになるだろう。
最後に一言、小泉改革以降のネオリベラリズムの政策で日本経済の成長率は高まっていない。経済成長はGDPの約80%を占める需要によって決まるのである。日本の長期にわたる低成長はネオリベラリズム政策や発想がもたらした必然的結果なのである。
中岡望(ジャーナリスト)
(終わり)
第1回はこちら
米初期資本主義の‟超”格差社会と、ニューディール政策が生んだ「最も平等な社会」
第2回はこちら