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週刊エコノミスト Online コレキヨ

小説 高橋是清 第177話 張作霖爆殺事件=板谷敏彦

(前号まで)

 金融恐慌で国内が揺れる中、中国では蒋介石軍が南京を攻略、山東省に迫ると、日本は対中国内政不干渉の外交方針を変え、山東出兵を決定する。

 昭和3(1928)年5月中旬、日本軍の進出によって済南を迂回(うかい)した蒋介石の国民革命軍は張作霖が支配する北京へと進軍した。

 すると劣勢な張作霖は北京を脱出し、奉天すなわち満州へと帰還することになった。

 この中国政府の代表としての地位を失った張作霖を今後どう扱うべきか、日本側では意見が分かれていた。

陸軍内の対立

 首相の田中義一は、自身がまだ少佐の頃から面識がある張にはまだ利用価値があると考えた。情も動いたのであろう。北の満州は張が、南の中国本体は北京に入った蒋の国民政府が、それぞれが日本の在中権益を認めることが理想だった。従ってこの状況は好都合だと受け止めた。

 しかしその一方で、現地の関東軍はそう捉えていなかった。満州では民衆による排日運動や満鉄の競合線を巡る鉄道協定違反など、奉天政府による反日行為も目立ってきていた。現場を預かる関東軍としては、軍閥を通じた間接統治は限界にきており、これを機に張を引退させ武力をもって満州を制圧したいと考えた。

 5月中旬の閣議では、関東軍の意を受けた白川義則陸相が満蒙問題の武力解決を訴えたが田中は認めなかった。その代わり北上する奉天軍とそれを追う国民革命軍が満州に無秩序に侵入した際には、奉勅命令を出し武装解除を行うという治安出動が決定された。奉勅命令とは軍を動かす際に、天皇陛下から各軍へ(例えば関東軍へ)下される命令である。

 この内容は秘密裏に各国へ伝えられたが、英米にすれば、そもそも関東軍は鉄道付属地を守る軍隊でしかないはずだ、治安出動は「保護領設定の宣言」ではないかと非難が巻き起こった。特に米国はワシントン会議の際に中国の領土の保全を決めた9カ国条約を提示、日本単独での満州の治安維持は重大な結果を残すと警告した。

 田中は元軍人ではあるが政治家であり首相である。後述するが、満州への投資資金など国家財政の側面も含めて基本的に英米との協調を考えていた。そのため奉勅命令は下されなかった。陸軍の田中に対する失望は大きかった。

 こうした状況下の6月4日早朝、専用列車で奉天に近づいた張作霖は爆殺されたのである。

 関東軍は国民党軍のスパイ(便衣隊)を装った中国人の死体を現場に置き、犯行を偽装したが、事件直後から日本軍の仕業であるといううわさが流れた。

 のちの1942年12月に行われたインタビューで本人が告白することになるが、犯行は関東軍参謀の河本大作大佐である。

 河本は明治16(1883)年生まれ、陸軍士官学校15期、中堅将校永田鉄山たちによるバーデン・バーデンでの会合(「コレキヨ」149話)をきっかけに誕生した二葉会のメンバーである。ここにはのちの満州事変に関連する板垣征四郎(16期)、土肥原賢二(16期)などがいた。

 またもう少し若手の将校をメンバーとする木曜会もあり、そこには同じく満州事変に関連する石原莞爾(21期)や鈴木貞一(22期)などが参加していた。

 石原はこの事件の前年の1927年末に書いた『現在及び将来に於ける日本の国防』の中で、かねてからの持論を展開している。将来日米間で生起するであろう、総力戦を戦い抜くには、資源が乏しい日本にとって資源の供給地である満州が必要という「満蒙領有論」である。

 そうした時に満州で盛り上がる中国国民による国権回復運動、政府や陸軍中央が張作霖擁護を唱える中、陸軍内世代間の意見の相違が目立ち始めた。満州という現場にいた中堅若手のエリート…

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