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小説 高橋是清 第178話 ラジオ=板谷敏彦

(前号まで)

 蒋介石軍の進撃は止まらず、満州では排日運動が激化する。中国政府代表の地位を失った張作霖は満州へ帰還途中、関東軍によって爆殺される。

 前話まで、昭和2(1927)年6月の高橋是清大蔵大臣辞任から昭和3年6月の張作霖爆殺事件を経て、昭和4年7月に田中義一内閣が解散するまでの2年間を田中の動向を中心に一気に書いてきた。ここでは再び昭和金融恐慌があった昭和2年の是清に戻りたい。

 この年の4月、つまり金融恐慌の最中である。是清の子であるが、是清の養家であり、高橋家の本家でもある是利の後を継いだ利一が慶応の予科に入学した。

 利一は大学のサークルである英語會の友人たちを赤坂表町の家や葉山の別荘につれてきて、その友人たちも是清と接することになる。

 是清が日銀総裁市来乙彦を更迭し井上準之助を後釜に据えたのが5月10日、是清の辞任は6月2日である。

 その間すでに「新党倶楽部」を結成して与党立憲政友会に対抗していた野党の憲政会と政友本党は合同して立憲民政党となった。

 立憲民政党は立憲政友会とともに以降2大政党となり、翌昭和3年には日本初の男子普通選挙が実施され両党は激しく争うことになる。

四男の是彰の帰国

 9月10日、アラン・シャンドの後見で、英国の無線機会社マルコーニ社で勉強していた四男の是彰が帰国した。是彰は帰朝してすぐに赤坂表町の家にラジオを買ってきたそうである。

 無線通信の発明家として知られるマルコーニ社の創始者グリエルモ・マルコーニは1909年にその功績からノーベル賞を受賞した。もう少し後のことになるが、マルコーニは日本を訪問、是清、是彰が氏と一緒に写った写真が残されている。

 イタリアで育ったマルコーニが英国へ渡って無線電信信号会社を設立したのは1897年のことである。マルコーニの父はイタリア人だが母はアイルランド人、アイリッシュウイスキーの大手ジェムソンのお嬢さんである。この母方の一族にはロンドンで活躍する事業家、弁護士や会計士が多くそれを頼っての進出だった。イタリアでは企業化が難しかった。

 最初の大口顧客は設立した翌年のイタリア海軍で、1902年には米国へも進出した。当時の最大のライバルはドイツのテレフンケン社だった。マルコーニは民間だが、テレフンケンは国家がバックアップした。

 日本海軍も日露戦争前にマルコーニの無線機を導入しようとしたが、同社の見積もりは特許使用料も含めて100万円、その時の日本の無線電信機開発予算はなんと100円しかなかった。

 仕方がないので日本は独自でやることになり、日露戦争日本海海戦において海軍で活躍する三六式無線電信機を開発した。

 有名な「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の電文は朝鮮半島沖にいた戦艦「三笠」から東京の大本営に電信されたもので、これは現在横須賀の三笠公園の三笠艦内に展示されている。ちなみにロシアのバルチック艦隊にはテレフンケン社製の無線機が搭載されていたが、戦後捕獲した艦を調べると使用された痕跡はなかったようである。

 当時の無線は、現在にしてみればデジタル技術のようなもの、彼我の戦闘能力の差はこの情報伝達能力においても大きかったに違いない。

 モールス信号による電信ではなく、ラジオを持っていれば誰でもが聞けるラジオ放送は、1920年11月2日のピッツバーグ、ウェスチングハウス社が最初である。この日は1920年の米国大統領選挙の日であり、第29代大統領ウォレン・ハーディングの当選をラジオがいち早く伝えたために大評判となった。

 このハーディングの任期中の急死を受けて第30代大統領となったのがカルビン・クーリッジ。…

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