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週刊エコノミスト Online 日本人の知らないアメリカ

ロシア・ウクライナ侵攻は何が引き金になったのか㊤ ウクライナ国内で繰り広げられた「親英米派」「親露派」の対立=中岡望

首都キエフから脱出しようとするウクライナの人々 Bloomberg
首都キエフから脱出しようとするウクライナの人々 Bloomberg

 ロシアのウクライナ侵攻は、歴史の教科書から“過去の亡霊”を蘇らせた。それは「地政学」で主張される「勢力圏(the sphere of influence)」と「生命線」いう発想だ。自国の安全を確保するためには、一定の地理的な安全圏を維持する必要があるという考え方である。喫緊の課題は、この戦争をいかに収束させるかだ。それには、なぜこうした事態が起こったのか、歴史的過程を踏まえて冷静に分析する必要がある。ロシアとウクライナの関係、プーチン大統領と西側指導者の交渉で何が起こり、何が間違ったのか――。今回は「日本人の知らないアメリカ」番外編として、2回にわたってお届けする。

ウクライナ国民の64%はNATO加盟支持

 プーチン大統領は、ウクライナのNATO加盟はロシアにとって「生存を脅かす脅威(existential threat)」であると主張している。

 一方、ウクライナはロシアの意に反してNATO加盟に大きく傾いている。地元のメディアによる世論調査によると、国民の64%が加盟を望んでいる(Yhiah Information Agency 2021年4月21日 「Some 64% of Ukrainians stand for Ukraine’s accession to NATO-poll」)。内訳をみると、NATO加盟に「積極的に賛成」は43%、「賛成」は21%。「絶対反対」が12%、「反対」が7%である。

プーチン大統領の狙いは…
プーチン大統領の狙いは…

 2014年にロシアがクリミア半島を併合して以降、NATO加盟を支持するウクライナ国民は急速に増えた。それ以前は、加盟賛成は15~20%程度で推移していた。世論の変化は、ウクライナ国民がロシアの軍事的脅威を感じ始めたことを示唆している。ロシアの軍事力に脅威を感じる国民は、NATOに加盟することでロシアの軍事的干渉を逃れようとしているのである。さらに直近の動きとして、ゼレンスキー大統領は2月28日にEU加盟の申請書に署名している。ロシアの影響力から脱し、欧米との関係を強化しようというウクライナの歩みは止まらないだろう。

 プーチン大統領が目指すものは何か。現ウクライナ政権を崩壊させ、傀儡政権を樹立し、NATO加盟を否定し、ロシアの影響のもとで非武装化することである。だがプーチン大統領の思惑通りに事態が進むかどうかは分からない。民主主義の自由を知った国民が、唯々諾々とプーチン大統領の思惑通りに動くとは思えない。ウクライナ国民の抵抗が強ければ強いほど、悲惨な事態が引き起こされる。対立が長引けば、プーチン大統領の国内基盤も揺らいでくるかもしれない。

 ただ確実に言えるのは、軍事力によって「勢力圏」を確保することが許されれば、戦後に世界を支えてきた基本的な安全保障の枠組みが崩壊するということだ。

 戦後、先進国間で行われた戦争はイギリスとアルゼンチンの間の「フォークランド紛争」以外ない。それも極めて限定的な戦争であった。だがロシアのウクライナ侵攻は限定戦争ではなく、全面戦争の様相を示している。プーチン大統領は約4200万人の人口を抱える先進国を軍事的に制圧するつもりなのだろうか。軍事力で跪かせることができると考えているのだろうか。

ロシアのウクライナ軍事侵攻に至る過程は…

 ウクライナとロシアの歴史的な関係についておさらいしよう。

 ウクライナには様々な帝国によって分断された長い歴史がある。ロシア革命後、「ウクライナ人民共和国」として自治を獲得したが、第2次世界大戦後、ソビエト連邦に併合された。1991年にソビエト連邦の崩壊によって、再びウクライナは国家として独立した。だが独立に伴い、国内では親欧米派と親露派の対立を抱え込むことになった。2014年に両派の停戦を目指す「ミンスク合意」が調印されたが、合意後も戦闘が続いた。それが今回のロシアの軍事侵攻の背景のひとつである。

 プーチン大統領はウクライナの指導者を「ネオ・ナチ」と呼び、親露派に対して「ジェノサイド(大量虐殺)」を行っていると繰り返し批判し、軍事侵攻の正当性を主張している。

 外交関係でみると、ウクライナの対露政策は揺れてきた。独立に際してウクライナは中立を宣言し、ロシアと一定の距離を置く政策を取った。だが2013年に新露派のヤヌコービッチ政権は政策の舵をロシア寄りに切り、ロシアと軍事的・経済的関係の強化を進めた。それに対し、親欧米派が親露政策に対する抗議運動(「マイダン革命」と呼ばれている)を開始し、ヤヌコービッチ政権は2014年に退陣に追い込まれ、大統領はロシアに亡命した。親露派は不満を抱くようになり、親欧米派と親露の対立が軍事的対立に発展し、ロシアが介入を始めた。

 ウクライナとロシアの戦争は実質的に2014年に始まった。2014年3月にロシアはクリミア半島にある「クリミア共和国」を併合した。西欧諸国は、クリミア共和国の併合は国際法違反であるとして、ロシアに経済制裁を科した。

 同じ3月に東ウクライナにあるドネツク州の議会は独立を巡って住民投票を行うことを決め、4月に親露派は州の庁舎を制圧して「ドネツク人民共和国」の樹立を宣言し、ロシアに支援を求めた。

 さらに6月、ルハーンシク州でも分離独立派の親露派の武力勢力が同州政府の建物を占拠、「ルハーンシク共和国」の樹立を宣言し、政府軍との間で激しい軍事衝突を繰り広げた。

 この戦闘による死者の数は1万3000人に達し、親欧米派と親露派の対立は決定的となった。戦闘を避けるため、ウクライナとロシア、フランス、ドイツを含む57カ国が国際監視団(OSCE)を結成。その結果、大規模な戦闘は避けられるようになったが、東ウクライナ地域の不安定な状況は続いた。ロシアによる関与も増していった。

ウクライナのゼレンスキー大統領 Bloomberg
ウクライナのゼレンスキー大統領 Bloomberg

 2019年、クリミア奪回とNATO加盟、腐敗の撲滅、法による支配の強化などを主張するゼレンスキー政権が発足した。同政権は少数派である親露派の権利を守るという約束を反故にした。

 そして2022年、ゼレンスキー政権の欧米寄りの政策が明らかになったことで、ロシアは分離独立を主張する2州を一方的に国家として承認し、2月24日にウクライナに対して軍事侵攻を開始したのである。

 ロシアによるウクライナ軍事侵攻は、ウクライナ国内の親英米派と親露派の対立の累積的な影響によって引き起こされたといえる。

プーチン大統領が抱くNATO拡大への根強い不信感

 プーチン大統領が過去15年の間に行った演説を分析することで、彼が何を考えているのかが見えてくる。

 2007年にミュンヘン安全保障会議で行った演説。この演説でプーチン大統領は「越えてはならないレッド・ラインが存在する」と欧米に向かって警告を鳴らした。続けてプーチン大統領はアメリカの一方的なイラク侵攻に反対し、「アメリカの軍事行動は国際法の基本原則を無視するものだ。アメリカは国際的な国境を踏み越えた。軍事力の行使が合法化されるのは、国連によって制裁が決まった場合のみだ」と発言している。

 プーチン大統領にとって「越えてはならないレッド・ライン」は、ウクライナであった。アメリカのイラク侵攻を攻撃することで、欧米のウクライナ干渉に警鐘を鳴らしたのである。皮肉なことに、ウクライナ侵攻でプーチン大統領は自分がかつてアメリカ批判で展開した同じ論理で批判されているのである。

プーチン大統領はかつてアメリカのイラク侵攻を「国際法の基本原則を無視するものだ」と強く批判した Bloomberg
プーチン大統領はかつてアメリカのイラク侵攻を「国際法の基本原則を無視するものだ」と強く批判した Bloomberg

 プーチン大統領は、演説をこう続けている。「NATO拡大は相互信頼を損なう深刻な挑発であると思っている。私たちは、NATO拡大は誰に反対するものか、聞く権利がある。ワルシャワ条約が廃棄された後に西欧諸国が行った約束はどうなったのか。約束はどこに行ったのか」と問いかける。冷戦が終わったのに、なぜNATOは拡大するのか。拡大の狙いはロシアにあるのではないかと、強い不信感を表明したのである。

 次に、2015年の国連総会での演説を見てみよう。プーチン大統領は「私たちは皆、冷戦後、世界に単一の支配センターが現れたことを知っている。自らがピラミッドの頂点にあると思っている人々は、自分たちは強く、例外的な存在で、国連など考慮する必要はないと考えている」とアメリカを批判。「アメリカの単独の軍事行動がもたらした結果は民主主義の勝利ではない。暴力と貧困と社会的混乱である」と、アメリカの中東政策がもたらした結果を厳しく非難している。

 さらにNATO批判も行っている。「ワルシャワ・ブロックが消滅し、ソビエト連邦が崩壊した。それにも拘わらず、NATOは軍事同盟として拡大を続けている。NATOは貧しいソビエト圏の国々に誤った選択を迫っている。それは西側に付くのか、東側に付くのかという選択である」。プーチン大統領はNATOの東方拡大に不信感と危機感を抱いていた。1991年にアメリカとドイツ、フランス、イギリスは、ロシアが東ヨーロッパから軍隊を撤退させれば、NATOは東方に拡大しないとロシアに約束している。だが現実には、約束を反故にして東方拡大を続けているではないか、と批判を展開した。

プーチン大統領はNATOに不信感を持っている Bloomberg
プーチン大統領はNATOに不信感を持っている Bloomberg

 プーチン大統領は、アメリカとNATOに対する不信感を強めていった。

 ウクライナ侵攻を発表した日、プーチン大統領は「NATOの拡大の結果、ロシアに対する基本的な脅威が増大している」と語り、ウクライナ政府を「過激な国粋主義者、ネオ・ナチ」と強調。「8年間にわたってキエフ体制から暴力と殺戮を受けてきた人々を守るために特別な軍事作戦を始める以外選択肢はなかった」と、ウクライナ侵攻の正当性を主張した。

 プーチン大統領はウクライナに関して特別な思いを持っている。「現代のウクライナはロシア、正確に言えばボルシェビキによって作られたものだ。そしてスターリンがソビエトに併合した。1954年にフルシチョフがロシアからクリミアを取り上げ、ウクライナに渡した」と語っている。すなわち歴史的にウクライナはロシア領であると主張しているのである。

 ウクライナ侵攻の背後には、プーチン大統領のNATO拡大に対する脅威とウクライナに対する歴史認識が絡み合っている。プーチン大統領は、NATOに対する警戒感からウクライナを自らの勢力圏に置く必要があると考えているのである。プーチン大統領の主張が妥当かどうかは別にして、アメリカとNATOはプーチン大統領の抱く不信感に本気で対処しようとはしなかったのは間違いない。それがロシアのウクライナ侵攻の背景にあった。

 では、アメリカとNATOはロシアに対してどのような態度を示してきたのか。後半で分析する。

後半はこちら>>

中岡 望(なかおか のぞむ)

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。ハーバード大学ケネディ政治大学院客員研究員、ワシントン大学(セントルイス)客員教授、東洋英和女学院大教授、同副学長などを歴任。著書は『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など

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