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小説 高橋是清 第180話 金の呪縛=板谷敏彦

(前号まで)

 昭和金融恐慌が収まり、是清は蔵相を引退、日本政府は金本位制復帰の方針を内外に示し、元海外駐箚(ちゅうさつ)財務官・森賢吾は米国モルガン商会ナンバー2のトーマス・ラモントを日本に招聘する。

 明治29(1896)年、日清戦争を戦った第2次伊藤博文内閣に代わって松方正義が内閣総理大臣になった。松方は日清戦争で清国から得た賠償金を元手に彼の悲願であった金本位制を採用した。(第61話)

 当時横浜正金銀行で働いていた是清は、松方から意見を求められてこう答えた。

「それは誠に結構、好機逸すべからずでございます。今なら1円はちょうど過去の2分の1、半分に平価を切り下げるチャンスです。これは金銀の相場水準に従った無理のない切り下げです」

 日本は明治の初めに1ドルを1円と定めた。だがそれから30年ほどの間に、銀の質量当たりの価値は金に比べると半分になっていた。従って当時実質銀本位制だった日本円の価値は1ドル2円と半分になっていたのである。

 是清はこの時のエピソードを生涯最も愉快だった話のひとつとして自伝に記した。日本の金本位制採用に少しは貢献したという意識があったのだろう。日本円にとっても無理のないレートであった。

 かくして日本は翌明治30年10月1日から金本位制を採用したのである。1ドル2円、ドル円相場での売買単位は100円=約50ドルである。

 金本位制とは、金を貨幣価値の基準とする制度であり、金との自由な交換(兌換(だかん))や、金の自由な輸出入を認める制度である。金の価値を通じて他国通貨との交換も容易である。

 一国が通貨を発行する場合には、いつでも兌換が可能なようにその裏付けとなる金を一定の比率で準備しておかなければならない。この準備が不足すると通貨はその価値を落とし金本位制は維持できなくなる。

 日本の場合、この準備に対して金の現物を国内に備蓄しているケースと、いつでも金と交換できる英ポンドや米ドルとして海外の銀行に預金している二つのケースがあった。国内の残高を内地正貨、国外にある場合を在外正貨と呼ぶ。正貨とは金または交換が確実な外国通貨である。

在外正貨

 図は日露戦争が始まる前年の1903年から、太平洋戦争が始まる1941年までの、棒グラフは内外の正貨残高、すなわち日本の金(正貨)の保有量を、折れ線は外貨建て国債の発行残高を示している。

 この時代は(1)から(4)までの四つの期間に区分できよう。

 (1)外債による正貨補充の期間

 1904年の日露戦争では是清が欧米へ出張して、外貨建て国債(外債)を発行して戦争を遂行するための資金調達をした。戦争は金がかかる。軍需品を輸入するためには正貨が必要だったし、外債を発行するには金本位制を採用する必要があったためにその準備の正貨も必要だったのである。

 是清が調達した英ポンドや米ドルは、本来であれば金塊に換えて船便で日本へと送るのだが、いずれ軍需品の輸入代金としてすぐに支払われるものである。であれば運賃や保険料をかけて現物の金を輸送するよりも現地の銀行に外貨建てで預金しておこうということになった。これが在外正貨である。この時期の日本の金本位制の兌換の準備は主に在外正貨であったのだ。

 日露戦争が終わっても列強に比べて工業化に出遅れていた日本は輸入超過が続く、さらに発行した外債の元利支払いは正貨でなければならない。正貨は出ていくばかりである。皮肉なことに正貨が不足すると金本位制維持のためにさらに外債を発行して正貨を補充しなければならない状況が続いた。そのため外貨建て国債の発行残高が伸びたのだ。

 こうした状態が続き、正…

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