ウクライナ人の老科学者が日本育ちの孫に語る戦争の真実①今のウクライナは震災時の日本と似ている、世界が「変われ!」と人類にシグナルを送っている
週刊エコノミスト編集部では、ロシアによるウクライナの侵攻を受け、随時、誌面でウクライナ戦争を取り上げている。それに関する取材を進める中、ウクライナのキエフから、生中継で現地の様子を伝えるボグダン・パルホメンコさん(35歳)の存在を知った。
ボグダンさんは1986年ウクライナのドネプロ生まれ。科学者である母親の仕事の関係で1990年から神戸に移り住み、生まれ育った。1995年には阪神大震災も経験している。そのため、日本語はネイティブだ。ウクライナに帰国後は、現地の大学と大学院で経済学や情報アナリスト学を学び、その後、日本の商社などで働いた経験がある。
現在、関西テレビをはじめ日本のテレビ局やYouTubeで、現地キエフから、毎日、戦禍の様子を命がけで伝えている。
そのボクダンさんが、2011年に東日本大震災のあった今年の3月11日に、祖父との特別対談をYouTube上で公開した。ボグダンさんの祖父のウラジミールさん(88歳)は、元々、プラズマを研究する旧ソ連時代からの科学者で、ウクライナの国連大使や教育大臣を歴任した経歴も持つ。ロシアによる侵攻と言う極めて切迫した状況の中、現実を受け止めつつ、未来志向で孫に語り掛ける姿勢に、国境や民族に関係なく、普遍的なメッセージが含まれていると編集部では判断した。
そこで、ボグダンさんの了承を得たうえで、エコノミストオンラインで4回に渡って、対談内容を転載する。(稲留正英・編集部)
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ボグダンさん:
今日はおじいちゃんに話をしてもらいます。ぼくのおじいちゃんのウラジミールです。
今日は3月11日だから、ウクライナのことっていうよりも「家族の絆」っていうことでおじいちゃんと話したいと思います。
おじいちゃんはもともと科学者で、ソ連が崩壊する直前、1990年ごろに、国連のウクライナ代表を務めていました。ウクライナの教育大臣もやりました。専門分野はプラズマに関する研究で、たくさんの大事な発明をして特許も持っています。彼が開発した技術は日本の電機メーカーでもたくさんつかわれていると思います。
そんなおじいちゃんから、まずはみんなにメッセージをもらいます。
日本は技術の進歩した特別な国
ウラジミールさん:
まず、みなさんに、ありがとうと伝えたい。日出ずる国、日本のみなさんが、ウクライナに注目してくださっていることに感謝します。また、いまウクライナに残っている人たち、戦っている人たち、若い人たちにも、ありがとう。日本はすごく技術の進歩した、私にとって特別な国です。そんな日本に感謝します。
私は今までいろんなところで登壇して話したり、いろんな人と会って話したりしてきたけど、今日は特別緊張しています。
88歳の今も科学雑誌の編集者として働く
私は88歳ですが、仕事を続けています。
論文を書いたり、科学雑誌の編集者として働いたり、すごくアクティブに活動しています。私の孫たち(ボグダン、ステファン(編集部注:ボグダンさんの弟))も私と同様にアクティブでとてもうれしく思っています。
私はもともと大学で教えていたので、話をすることには慣れています。私は知識や情報に注力しているんですが、それを中心で結びつけるのは人間だと思っていて、それこそがいちばん大切なことだと感じています。
いまは、「新しい人間」が誕生するプロセス
そして私は、いま「新しい人間」が誕生するプロセスに入っていると思っています。新しい意識を持った人たち。新しい文化を持った人たち。
こうやってみなさんとコミュニケーションしているのも、そういうプロセスの一環だと思っていて、いますごく光栄だと感じています。
日本というのは、文化と信頼を持った国です。ウクライナも、いまはこういう状況もあって、ある意味で世界に誇れるような国になっていて、それは複雑な気持ちではあるんだけど、でも最終的には、この状況がいい方向へつながっていくことを願っています。
世界が「変われ!」というシグナルを送っている
いま、私たちはある種の緊張感に包まれています。それは、ウクライナという国だけではなく、世界が私たちに「変われ!」というシグナルを送っているように感じるからです。
だから私は、自分の行動を、全体の自然のハーモニーと協調、共鳴させながらやっていく必要があると思っています。そういった新しい自然の法則に基づいた人間を形成するためにはいったいどう活動していったらいいのか?
いま、私はそれについて新しい論文を書いています。そういう考えをみんなで共有したいからです。
物質的な進化はもう限界、人間も地球環境の一部
長くなってすみません、もうすこし続けます。
いままで私たちは金銭的なことや物質的なことを中心に進化してきました。しかしながら、そういった進化はもはや限界です。そうなると、私たちは精神分野での発展を遂げなくてはならない。いまそういうプロセスに入ったと思っています。物質的なことではなくて、人間の存在そのものの見方を変えなくてはならない。
人間だけが特別な存在じゃなく、人間も地球という環境の一部として、よい流れを受け取れるようなシステムに変化していかなくてはならない。
これからの時代、人々に支持されるのは、「ものを持っている人」ではなくて、「なにかを成し遂げられる人」です。これはすごく重要なことで、いま、人々の価値観が大きく変化しているのを私は感じます。
自分の人生、自分の判断を変えていく必要がある
クリエイティブな発想ができる人、将来性を見出せる人、自分のことを信じられる人‥‥。
いままで私たちが発展させてきた物質的なこととは、まったく逆の発想をしていかなくてはならない。そのためには、全体のシステムも、ひとりひとりの行動も変えなければいけない。自分の人生や、自分の判断を変えていく必要がある。すべてを抜本的に変える必要があるんです。そういうことを私は毎日考えています。
ですから、ええと、このまま、ずっと話し続けることもできますが(笑)、でもそれじゃまずいから、ボグダンに質問してもらったほうがいいね(笑)。
ボグダンさん:
みんなにも質問してもらいたいんだけど、そのまえにぼくからの質問がふたつあります。まず、ひとつ目の質問をするね。
今日は3月11日で、東日本大震災が起こった、日本にとって特別な日です。
地震と津波で15900人が亡くなりました。この日のことをウクライナの人たちはどんなふうにとらえていますか?
おじいちゃんも日本に来たことがあるけど、おじいちゃんにとっての「311」って、どういう日ですか?
チェルノブイリを経験、日本の3月11日を緊張して受け止め
ウラジミールさん:
私はチェルノブイリの原発事故も経験しているし、娘や孫(ボグダン)が阪神淡路大震災を経験したから、3月11日のことは緊張感をもって受け止めている。神戸の震災があったときはすごく心配した。娘や孫のことだけでなく、周辺の人たちのことがすごく心配だった。あのときは、通信が途絶えていて、娘や孫と連絡が取れなかったからね。デマも含めてさまざまな情報が行き交っていたし。
だから、東日本大震災のときも、現地に自分や家族がいたわけではないけれど、阪神淡路大震災のときと同じような気持ちでいたし、もしかしたらそれ以上に緊張したかもしれない。もちろん、日本の人たちの心配や緊張とは比べものにならないと思うけど。
しかし、数日後に、娘や孫が連絡をくれて、当時の日本人の親切な対応を教えてくれたので、私も妻もすごく心があたたかくなって、日本人への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
いまのウクライナは、日本の大震災時に似ている
なぜなら、他人が、自分のファミリーみたいに彼らを受け入れてくれたから。家とか食べ物とか、いろんなものを提供してくれましたし。あのとき、そういう日本の状況を見ていたから、いまここでその経験を活かせてるというところもあると思う。
いまのウクライナの状況って、それぞれができることを積極的にやっているという点で日本の大震災のときの状況に似てるんです。ひとりひとりが、その人のできることをやる。
いまのウクライナも同じことです。いくつか、よい例を挙げてみましょう。
(②に続く)
転載元:
YouTube「ウクライナ、キエフ、3月11日、ボグダン、生配信」
https://www.youtube.com/watch?v=mNgNENhufE0&t=2385s
https://www.youtube.com/watch?v=dMzaeb2c9eo
https://note.com/parkhomenko_bog/n/n49287e4150f5
https://note.com/parkhomenko_bog/n/nfa472813c3b7