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「大胆な利上げをしないと景気後退だ」 FRBを批判した米経済学会の大物教授
「大胆な利上げなくば景気後退」 サマーズ元財務長官がFRB批判=中岡望
米連邦準備制度理事会(FRB)は、急速なインフレ高進に対応するために金融政策のかじ取りをインフレ抑制に切り替えた。3月16日に米連邦公開市場委員会(FOMC)は「インフレは新型コロナウイルス関連の需給不均衡、エネルギー価格の上昇、広範な値上げ圧力を反映して上昇が続いている。委員会は2%のインフレ目標の達成に努めている。そのため政策金利のフェデラルファンド金利(FF金利)を0・25%から0・5%へ引き上げることを決定した。継続的な引き上げが適切であると予想している」と、利上げの理由を説明している。
こうしたFRBの金融政策に対して、かつてクリントン政権で財務長官を務め、現在はハーバード大学教授のローレンス・サマーズ氏が、3月15日の『ワシントン・ポスト』に「FRBはスタグフレーションとリセッション(景気後退)に向かってかじ取りをしている」と題する批判論文を寄稿した。
インフレの予言的中
スタグフレーションは物価上昇と失業率上昇が同時に起こる現象である。サマーズ氏は、「FRBは1年前に、今後1年間でインフレ率は2%の範囲内にとどまると主張し、また半年前にはインフレは一時的なものであると楽観論を振りまいていた」と深刻な判断ミスを犯したことを批判した。
さらに「FRBが物価安定を支援するためにはより強力な政策を取る必要がある」と主張した。ここでいう“より強力な政策”とは、インフレを確実に抑え込むための強硬な利上げである。続けて「現在の政策スタンスが続く限り、米国経済はスタグフレーションとリセッションに陥る。今後数年間に平均失業率と平均インフレ率はいずれも5%を上回り、最終的に景気後退に陥る」と警鐘を鳴らしている。
米国の2022年2月の消費者物価指数は年率で7・9%に上昇した。これは1982年以来の高水準である。過去5年間の推移を見てみると、18年が1・9%、19年が2・3%、20年が1・4%であった。これに対して21年から急速なインフレ高進が見られ、21年には7%上昇、その傾向は22年も続いている(図1)。
原油価格の高騰が上昇要因の一つであるが、価格変動が激しいエネルギーや食料品の価格を除いたコア・インフレ率でも2月に6・4%上昇した。これも82年8月以来の高い上昇率である。このことは、インフレ高進の背景には単にエネルギー価格や食料品価格の上昇だけではなく、景気過熱と労働市場の逼迫(ひっぱく)が存在していることを示唆している。
米議会調査局の報告「ポスト・パンデミックの労働市場とインフレ高進」(21年11月22日)は、21年10月ごろから「一部の産業では労働市場は組合の団体交渉力の強化や最低賃金の引き上げで、採用が困難な状況になっていた」と、労働市場の逼迫を説明している。要するに、現在のインフレは短期的な現象ではない可能性が強い。
サマーズ氏は1年前にもバイデン政権の巨額のコロナ対策費やインフラ投資支出が生産能力を上回る過剰な需要を創出し、インフレを招くと批判していた。当時、金融市場ではインフレの兆候である長期金利の上昇が見られた。これに対してパウエルFRB議長は、長期金利の上昇は経済が健全な状況に移行するための一時的な現象であると批判を退けた。だが結果的にはサマーズ氏が懸念したように急速な物価上昇が現実のものになった。
労働コストの上昇続く
スタグフレーションと景気後退に警鐘を鳴らすサマーズ氏は、大学の同僚アレックス・ドーマッシュ教授との共同研究の成果に基づいて「高インフレと低失業という景気過熱が起こった後、通常の景気後退が起こる」と指摘した。
現在の米国の経済状況はまさに過熱状況にある。インフレの高進に加え、失業率は昨年3月には6%であったが、その後、低下に転じ、12月には3・9%にまで低下している。22年1月は4%とやや上昇に転じたが、2月には再び3・8%まで低下した(図1)。
さらに労働賃金は昨年の5月の3%を底に上昇傾向に入り、今年の1月が5・1%、2月は5・8%にまで上昇した。今後、上昇傾向はさらに高まる可能性がある。
この状況が続けば、賃金上昇がインフレ高進の重要な要因になることは間違いない。既に石油価格と穀物価格の上昇とサプライチェーン(供給網)の分断がインフレ率を押し上げているが、さらに労働コストの上昇が加わることになれば、インフレはスパイラル的に上昇する懸念もある。サマーズ氏は「22年にインフレ率が、さらに3ポイント上昇しても驚きではない。物価上昇が賃金上昇を上回れば、賃金と物価のスパイラル的な上昇が大きなリスクとなる」と指摘した。
物価上昇は消費者に大きな打撃を与えている。特にガソリン価格の上昇はクルマ社会の米国を直撃している。さらに大都市圏では家賃が1年間で15%上昇し、家計に大きな負担になっている。しかし時間当たりの賃金上昇率は物価上昇に追いついていない。こうした状況が続けば、労働者の賃上げ要求は間違いなく高まってくるだろう。既にインフレによる実質賃金の目減りの補填(ほてん)を求めるストライキが起こっている。
こうした労働市場の動きを受け、単位労働コストも着実に上昇に転じている。21年第4四半期に時間当たりの報酬は7・5%増えたのに対して、労働生産性の向上は6・6%にとどまり、単位労働コストは年率で0・9%上昇している(図2)。単位労働コストの上昇は、20年1月から続いている。企業は単位労働コストの上昇をやがて製品価格に転嫁するだろう。
「強行着陸を恐れるな」
賃金の“コスト・プッシュ・インフレ”を阻止するためには何が必要なのか。サマーズ氏は、70年代に米国が経験した深刻なスタグフレーションから教訓を学ぶべきだと説く。当時、ボルカーFRB議長は厳しい金融引き締めを実施し、短期市場金利は20%にまで上昇し、失業率も急速に高まった。その結果、米国は80年代にインフレを克服し、90年代に戦後最長の経済成長を実現した。
その経験から、サマーズ氏は、FRBは二つの教訓を学ぶべきだと主張する。
一つ目は「物価安定こそが持続的な最大雇用を達成するために不可欠である」と明確にすること。
二つ目は「実質金利を大幅に引き上げることなくして、インフレを抑制することはできない」ことを認識することである。サマーズ氏は、現在の実質短期金利はここ数十年で最低の水準にあると指摘し、インフレを抑制するために実質金利を2~3%にまで引き上げる必要があると説く。
実質金利の引き上げは景気後退を引き起こし、短期的には失業を増大させる。だが「金利の大幅引き上げと失業の短期的な上昇こそがインフレを抑制する唯一の信頼できる方法である」と主張する。こうした政策を実現するために、「社会正義や環境保護といった非金融的な目標を達成する政策は、縮小する必要がある」と訴える。
サマーズ氏は、本当にインフレを抑制するのであれば、「FRBは異なった政策の方向に劇的に転換すべきである」と、金融政策のパラダイムの転換の必要性を説いている。
FRBは、インフレ状況を見ながら小刻みに利上げを繰り返して経済の“ソフトランディング(軟着陸)”を目指している。これに対して、サマーズ氏は、「“ハードランディング(強行着陸)”を恐れずに、大胆な利上げを実施することでインフレの芽を摘み、賃金と物価の上昇のスパイラルが起こる事態を回避すべきだ」と主張している。
金融市場では、経済は既にスタグフレーションに突入しており、景気回復は物価上昇と成長鈍化で終わりつつあると指摘する専門家も多い。FRBは成長を維持するためにどこまでインフレを許容するのか、あるいは雇用を犠牲にして本格的にインフレ抑制に取り組むのか選択を迫られる日は遠くないのかもしれない。
(中岡望・ジャーナリスト)