小説 高橋是清 第186話 NY大暴落=板谷敏彦
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(前号まで)
第一次大戦以前の旧平価で金本位制に復帰することで経済の立て直しを図ろうとする浜口内閣に対し、実勢に沿った新平価で行うべきとする金解禁論争が勃発する。
昭和4(1929)年10月15日、浜口雄幸内閣の定例閣議において官吏の「俸給一割引き」が決定された。現代であれば突然の公務員給与1割減などはありえない話だが、これは井上準之助大蔵大臣が緊縮政策の一環として画策したもので、何らの予兆もなく全く唐突な話だった。
「官吏の減俸は好まざるところであるが、国民に我慢を強いる緊縮政策を実行する上においては官吏も範を示さなければならない」という説明で、年俸1200円以上または月俸100円を超える者に対して行われるというのである。
教員初任給が月俸50円程度、100円の俸給は家庭を持ち始めの若い中堅官僚である。1割引きは生活を直撃する。若くして出世したエリートの井上にはそうした生活感が欠けていた。
火の手はそこら中で上がった。翌日、まず法律で生活を守られているはずの裁判所の検事たちが動いた。そして国防に命をかける陸海軍が動いた。
大正デモクラシー以降、将来も含めた若手将校の生活は楽ではなかった。
また当時のJRは国鉄時代よりも前の鉄道省である。国家公務員21万人の鉄道員を抱えていた。
首相官邸はその日のうちに減俸案撤回を求める陳情の人々でごった返した。
浜口は立憲民政党の長老で満鉄総裁理事の仙石貢から形勢が非であると意見され、さらに同じく長老山本達雄からも「減俸案の断行不可」と説得された。
こうして1週間後の10月22日に減俸案は撤回されたのである。朝令暮改、金解禁前のひと騒動だった。浜口と井上は官吏や軍人からあまり良くない印象を持たれた。
暗黒の木曜日
ちょうどこうした騒動のさなかの10月18日、久保久治という弁護士が是清を訪ねた。
久保は『金解禁亡国論 井上準之助氏に与ふ』という本を出版し、是清に序文を書いてもらっていたのだ。本の表紙には「高橋是清翁序」と大きく書かれている。
是清の序文は活字ではなく、是清自筆の書を写真にして本の最初の方にはさんである。
本は井上を貨幣万能経済学者と指摘し、金解禁を行うのであればその被害が予想される者への補償を十分準備して行うべきとの趣旨である。
是清の序文は、この本に全く賛同したとは書かずに、よく研究されているとだけ書いてある。是清の名は金解禁反対論者の象徴として使われたのであろう。
その頃米国では、ハーバート・フーバー第31代大統領が下落する株式市場を心配し、連邦政府が株投機を終わらせる政策を発動すべきかどうかモルガン商会のトーマス・ラモントに連日のように問い合わせをしていた。
1920年代の米国は「狂騒の20年代」と呼ばれ、自動車、ラジオ、洗濯機、冷蔵庫が各家庭に普及する過程で米国経済は大躍進を遂げた。ダウ工業株指数(以下、ダウ)はこの6年間の間に5倍になり、9月3日には高値381・17をつけていた。
ところがその頂点にある株式市場の雲行きがにわかに怪しくなっていたのである。10月23日にはウエスチングハウス、GEなど超優良株が軒並み売り物に押されてダウはマイナス20ポイント安の305・85まで下落していた。
翌24日木曜日午前、この年の6月に英国大蔵大臣を辞任したばかりのウィンストン・チャーチルがニューヨーク証券取引所の見学席に立っていた。チャーチルはつい先日、英国の金本位制復帰を手助けしてくれたラモントをはじめモルガン商会の面々とランチをとったばかりだった。日本で言えば井上準之助と重なる。
市場は寄り付きから…
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週刊エコノミスト
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