マーケット・金融異次元緩和を問う

金利抑制のひずみは物価に跳ね返る=平山賢一/4

 政府・中央銀行による市場介入は、どこに行き着くのか。資産運用の実務と経済史研究に“二刀流”で携わる東京海上アセットマネジメント参与の平山賢一チーフストラテジストは、1940年代の帰結をふまえ、物価は抑えきれないことを危惧する。(異次元緩和を問う)

 長年、投資戦略の策定・運用に携わるなかで、歴史を指針に置いてきた。2015年に埼玉大学大学院の博士課程に進み、博士論文を軸にまとめた『戦前・戦時期の金融市場』(日本経済新聞出版社)を19年に刊行した。

 13年に異次元金融緩和が始まった時、強烈な市場介入との問題意識を持った。「政策はどの程度まで金融市場に影響を与えうるのか」を考えるうえで歴史をさかのぼると、1940年代が事例として挙げられる。デフレの後、政府の市場介入度合いが次第に強まっていった点で現代に通じる。40年代の過程と帰結をデータで確認しようと思った。

 運用に携わってきたこともあり、重視するのはパフォーマンス(投資成果)だ。1920~40年代にかけて、国債と株式について、比較のために現代と同様の手法で投資収益を時価総額の加重平均で指数化して分析してきた。

 結論を言えば、政策で操作しやすい市場の順に、短期金融、国債、為替、そして株式となる。

 短期金融市場は当然ながら日銀が金利を決めている。国債は、32年に高橋是清蔵相の下で日銀による直接引き受けが始まり、30年代末には取引価格は標準発行価格の3.7%弱(三分半利債)に収束していた。

 為替の管理は、国債市場よりも緩やかだった。32年に資本逃避防止法が制定されたが、当初は海外投資が不可能ではなかった。次第に制限が強まっていった。

 株式市場は通説では「死んだ」と言われ、確かに発行市場としての機能は相当程度失われた。一方、流通市場では政府などの買い支えもあったが価格メカニズムは一定程度維持されていた。イールドスプレッド(益利回りと国債利回りの差)もニューヨーク市場とそれほど違いはなかった。

 このことから異次元緩和を考えると、2013年の時点で既に国債の金利は量的緩和によって抑え込まれていた。そこで国債を大量かつ相当期間にわたり購入すると打ち出して期待感を高めることで為替レートを円安に動かした。当時は円安・株高の連動が生きていたので株価も動いた。ただし、期待感で為替を動かすことは、高橋財政が始まる1932年の円安と同様に1回しか効かない。

 2016年に日銀は「イールドカーブ・コントロール(長短金利操作)」を導入。長期金利の半固定化が明示された。今年4月の政策決定会合では、アメリカで長期金利が上昇するなか、10年物国債の利回りを0.25%以下に抑え込むため、連日指し値オペを行うと決めた。

 これまで金利のコントロールは機能してきたが、状況が変わりつつある。戦時期に国債の金利を操作できていた前提には、資本移動の制限がある。国内資本を海外に投資できず、市場が分断されていた。現在は、戦時期ほど政策の強制力が高いわけではなく、資本移動も制限していない。いまや国債の海外保有は14.3%(21年末時点、国庫短期証券含む)まで拡大している。

 00年代までは国債の保有者は国内が主で、海外のヘッジファンドは空売りをしかけるたびに撤退を余儀なくされてきた。しかし、日米の金利差に加え為替ヘッジのプレミアムが乗ることもあり、日本国債は海外投資家に投機の対象として注目されるようになった。まだ10%程度に過ぎないと軽視はできない。株式でも外国人投資家の保有比率は3割程度だが、市場を左右している。

現代の闇物価

 そして、カギを握るのが物価だ。金利を抑え込めば抑え込むほど、物価にひずみが生じ、操作不可能性が高まる。

 中央銀行は、物価そのものを操作することはできず、金利水準の調整などで金融環境を変えることで物価に影響を与える。これまでは日銀が2%のインフレ目標を掲げても人々は意識せず、物価は上がらないものというノルム(規範)が問題視されてきた。しかし、物価は上昇し始めると変動も大きくなるのが歴史の常で、それを抑え込むことは不可能だ。戦前期も、金利と為替は政策で抑えたが、物価は抑え込めなかった。その点、資源大国で当時、原油生産量が世界一だったアメリカがインフレを抑え込めたことと対照的だ。

 1943年12月から45年7月にかけて、正規の物価指数(東京小売物価指数)は、政府により抑え込まれた公定価格ベースで1.5倍だった一方、消費財闇物価平均は10.6倍に跳ね上がっていた(図)。戦後のインフレはよく知られるが、戦時期に抑え込まれていた公定価格ベースの上昇分も含んでいる。金利を過度に抑制した戦時末期の物価上昇の実態を、統計上表れていないからといって無視すべきではない。

 異次元緩和が10年目に入るなか、為替も物価も動き始めている。ロシアのウクライナ侵攻を機に、世界全体でマネーの流れが変わりつつある。ロシアへの経済制裁では、これまで存在を意識されてこなかった国際決済システムSWIFT(国際銀行間通信協会)がツールとして使われた。グローバル経済に壁ができ、モノや情報の流れが途絶えれば、サプライチェーン(供給網)の効率性が落ち、節目節目でコストが増す。

 生活者が実感する物価が上がっても、消費者物価指数に反映されるとは限らない。特に高齢者にとって、生計費はスーパーでの買い物が中心だ。戦時期の公定価格と闇物価のように、公的統計の物価指数とスーパーのPOS(販売時点情報管理)データに基づく民間の物価指標が乖離(かいり)しかねない。

 なぜ実態に即した物価が重要かといえば、資産価値は名目の値で考えるか、実質価値で考えるかで全く違ってくるからだ。戦時期も、株価はゆるやかに上昇していたが、物価がそれをはるかに上回るペースで上昇していたから、投資家にとって株式の実質価値は大幅に目減りしていた。

富の実質価値

 いくら政策で株価の下落を防ごうとしても、財政の持続可能性や中央銀行の信用度が下がれば通貨の価値が下がり、資産の実質価値は下がる。突きつけられるのは「国富とは何か」という問いだ。円安にしても、これまでは輸出競争力を増すため経済にプラスだと捉えられてきたが、実は通貨価値が下がり、国富を喪失している。

 戦時期の市場データを基にした研究を通じて感じるのは、戦争とは経済の戦争だということだ。財政・通貨で負けた国が、戦争に負けていく。いまもロシアの侵攻が資源インフレを引き起こし、世界経済の不確実性が増すという負担を強いられる点で、我々も世界的な戦争に巻き込まれている。

(平山賢一・ストラテジスト)

(構成=黒崎亜弓・ジャーナリスト)


 ■人物略歴

ひらやま・けんいち

 東京海上アセットマネジメント参与・チーフストラテジスト。1997年東京海上火災保険入社。運用本部長を経て現職。近著は『日銀ETF問題』。


 ※次回の掲載予定は6月14日号

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