マーケット・金融異次元緩和を問う

希望という名の茶番劇は続く=水野和夫/3

エコノミスト 水野和夫氏
エコノミスト 水野和夫氏

 時代をさかのぼり、出来事や数字の推移の深層にある構造の変化を捉える。歴史家とエコノミストの目を併せ持つ水野和夫・法政大学法学部教授には、日銀によるこの9年間の異次元金融緩和もまた、新たな実験というより、形を変えた歴史の繰り返しに映るようだ。(異次元緩和を問う

 1997年、日本の10年国債利回りが2.0%を割ったことを水野氏は、マーケットが歴史の転換期を告げるメッセージだと捉えた。2003年に刊行した『100年デフレ』(日本経済新聞出版)では、「21世紀は長期デフレとバブル多発の時代となり、それは日本だけの現象ではない」と論じた。 参照するのは、同じく超低金利となった16世紀前後の時代。封建制システムが危機に陥り、近代主権国家と近代資本主義が登場する大転換期だった。21世紀は、その近代システムが崩壊するという。

 歴史の危機に直面すると絶望も生じるが、何かにすがりたい気持ちから「希望という名の茶番劇」が起きる。これは19世紀の歴史家であるヤーコプ・ブルクハルトが、ローマ帝国の滅亡やフランス革命以降の時代を指して述べた言葉だが、共通現象として次々にトップの首をすげかえ、右に左にと政治の振幅が激しくなった。誰かを選んでこりごりだから少しはマシな人にと替えると、もっと悪くなる。

 21世紀の歴史の危機に直面し、大規模な金融緩和をすべきだと主張する政権を国民が選んだことも茶番劇の一つだった。茶番劇はこれからも続くだろう。

 空気のように存在してきた近代システム自体が転換するとなると、かつての成長経済を取り戻そうとする金融政策は、“異次元”をうたいながら、変化への抵抗に過ぎないのかもしれない。 茶番劇は実際には、何をもたらしたのか。

 異次元金融緩和は、株価、それに土地と金の価格を押し上げるうえでは十分な効果を発揮した。先進国はそろって量的緩和を行い、みな資産価格が上がった。

 異次元緩和が始まる頃、米国の経済学者ミルトン・フリードマンによる「インフレは貨幣的現象」という命題を引いた「デフレは貨幣的現象」という言葉をたびたび聞いた。「だから、中央銀行が通貨を供給すればインフレが起きる」と論じられていた。

 インフレに「資産インフレ」を含めれば、その通りだった。

貨幣的現象は資産インフレ

 フリードマンの命題は、貨幣交換方程式MV=PTに基づく。Mはマネーストック(通貨供給量)、Vは貨幣の流通速度、Pは物価水準、Tは取引量を指す。この式は恒等式だから因果関係を示すものではなく、事後的に成り立つ。フリードマンに代表されるマネタリストは、Tの取引量を財とサービスの経済活動に限定したY=実質GDP(国内総生産)に置き換え、金融・資本の取引高を除いた。

 確かに、80年ごろまでは株式時価総額と実質GDPの比率が一定だったため、実質GDPで取引高を捉えることができた。しかし80年代以降、資本の自由化が進み、グローバリゼーションでマネーが国境を越えて動くようになった。株式市場では高頻度取引が拡大した。

 マネタリストは金融市場にお金が流れやすい仕組みを自ら作っておきながら、相変わらず取引高に金融・資本を含まないのだから、MV=PYは成り立たず、マネー供給が物価上昇につながることはない。株式市場にお金を流そうとする確信犯だったのではないか。

 実体経済にはキャパシティー(許容量)がある一方、株価には天井がない。物価が上がるのは、供給力に対して需要が旺盛な時だが、いくら異次元緩和でマネーの量が2倍に増えたといっても1日3食を6食に増やす人はいないし、洋服を2倍着る人もいない。企業は既に十分な設備を持っているから投資先がない。そして金融資産だけが積み上がった。

 資本ストックが積み上がり、10年国債利回りは400年来の低水準となった。一方で、「利潤インフレーション」が起きていることもまた、16世紀に通じるという。20世紀まではともに歩んでいた企業と国民国家の関係に変化が生じたのだ。

高利潤、低利息、低賃金

 経済学は利潤と利子を区別しない。どちらも付加価値からしか生まれてこないからだ。利子は事前契約でたとえば3%と決め、利潤はもうかったら事後的に3%配当する。経営の浮き沈みを10年間でならせば利子と利潤はほぼ等しくなり、利潤の偶然性の分だけ利子が少しだけ低い。

 企業の利潤率の代表であるROE(株主資本利益率)と借入金利子率は連動してきたが、99年度以降はROEが上昇しても、借入金利子率は低下している(図)。企業は利子率を10年国債利回りに連動させている。それは銀行が怠慢だからだ。銀行が一致団結して、経団連に「利潤率を上げるなら利子率も上げろ」と要求すればいい。

 それができないのは、90年代後半の金融危機の後、貸し剥がしをした負い目があるからだろう。銀行は本来、利息さえ支払われていれば融資の返済を求めない。企業はいざという時に銀行が頼りにならないと分かったから内部留保を増やした。売り上げが増えないなかで利益を増やすため、コストカットで賃金と利払い費を抑えた。

 だが、銀行は金融危機の際、公的資金で救済された。その出し手は国民だ。全国銀行協会は、企業に利払いを要求し、そこから預金者に利息を支払うべきだ。

 賃金は、労働生産性が上昇しているのに減ってきた。「生産性が上がっていない」といわれるが、企業の付加価値を実質化し、従業員1人当たりで算出した労働生産性は上昇している。にもかかわらず、実質化した1人当たり人件費は減少している。マルクスのいう搾取そのものだ。

 ETF(上場投資信託)を購入してきた日銀は、いまや上場企業の大株主なのだから、黒田東彦総裁が株主総会に出かけていって、「賃金が生産性の上昇に見合って上がっていないのはなぜか」と質問すればいい。日銀は、預金や紙幣発行の形で国民から借りたお金で株を買っている。議決権行使をしないのは、怠慢といっていい。

 この9年間で、金融政策にできることはないと分かった。国民生活をおびやかすのは、何よりバブルの崩壊だ。デフレといっても大恐慌のように30%も下がるわけではない。株価をバブル化させないためにコントロールすべきだ。いま日銀は株価が下がった時に買うだけだが、上がった時には売ることで、株価が実体経済とパラレルに動くような状態に戻す。企業の利潤が国民に還元されてはじめて、利潤が増えるのは良いこととなる。

(水野和夫・エコノミスト)

(構成=黒崎亜弓・ジャーナリスト)


 ■人物略歴

みずの・かずお

 法政大学法学部教授。1953年生まれ。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストなどを経て2016年より現職。


※次回の掲載予定は5月24日号

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