マーケット・金融異次元緩和を問う

実験がかき消した金融政策への期待=門間一夫/2

 2013年に始まった異次元金融緩和には前史がある。日銀が「緩和が足りない」と批判され続けた15年間だ。「異次元緩和を問う」2回目は、その渦中にいた門間一夫・元日銀理事に登場を願った。門間氏は、その15年間を日銀がみずから否定し、とことん緩和し尽くしたからこそ、異次元緩和は真の実験になりえたのだと語る。(異次元緩和を問う)

「日本経済停滞の要因であるデフレ(物価下落)を脱するために手を打つべき」との批判が日銀に向けられた1998年以降を、門間氏は“15年戦争”と呼ぶ。日銀が当初の見解から少しずつ押され、2013年1月、政府との共同声明で「2%インフレ目標」を受け入れて幕を閉じる。門間氏は理事として声明文の起草を担った。

 異次元金融緩和は、日銀ができることを全部やったことで「歴史的な実験」になりえた。「日銀には、まだやれることがある」と思われるような中途半端な状態では、実験として成り立たなかった。

 この9年間は二つの段階に分けられる。実験だったのは最初の3年半で、それ以降はリスク管理だ。

 13年4月に黒田東彦総裁が「マネタリーベース(日銀による資金供給量)を2倍に増やし、2年で2%インフレを達成する」と打ち出した。それまで日銀は、マネーの量とインフレ期待への働きかけのどちらも不十分だと批判されてきたが、購入する国債の量も、ETF(上場投資信託)や社債の購入という質の面も、2%への約束の強さも、政治や経済論壇の要求を十分満たした。

 16年2月には、マイナス金利も導入した。欧州で既に導入されていたから、そこまでやらなければ「やり切った」ことにはならなかった。そこまでいって初めて、金融機関への副作用などの問題も見えてきた。

 そこで切り替え、副作用のリスクを管理し緩和の持続性を高める第2段階に入った。16年9月に「総括的検証」を公表し、イールドカーブコントロール(長短金利操作)を導入した。市場から緩和の後退と見られないようにする工夫であり、株安や円高を防いだ。その後は、バブルの発生や金融市場・金融仲介機能の低下など、副作用を点検し必要な修正を続けている。

やり切ったから分かった

 第2段階の着地点はまだ分からないが、第1段階について私の評価は決まっている。実験によって、二つのことが明確に分かった。ひとつは、日本では、中央銀行ができることを全部やってもインフレ率を上げるのは難しいこと。もうひとつは、2%物価目標が達成できなくても特に問題はないこと。戦後2番目の長さの景気拡大局面となり、近年になく労働市場は改善した。

 この現実によって、「金融緩和の不足が経済低迷の原因」という見方は完全に消えた。金融政策は、昨年の自民党総裁選でも衆院選でも話題にならず、政府と日銀の緊張関係もなくなった。日銀への批判が減ったことよりも、日本経済の課題は金融政策では解決できない、と多くの人々が納得するようになったことが、とても重要かつ建設的な変化だった。

 日銀に大胆な金融緩和を要求し、首相に返り咲いた安倍晋三氏は退任後の20年9月の『日本経済新聞』のインタビューで2%物価目標が未達成なことについて「その本当の目的は名目GDP(国内総生産)を持続的に発展させ、常に投資がなされ、給料が上がっていく状況を作り出すことだ。(中略)雇用は新たに400万人増やせた。目標は十分達成することができた」と述べている。

 金融政策の代わりに、成長戦略や賃金引き上げ、生産性といったテーマがフォーカスされるようになった。いずれも答えを見いだすのは難しい問題だが、デフレが悪い、マネーをもっと増やせ、などという議論が延々と続くよりは、はるかに意味のある政策論議がなされている。そのような状況を作ることができた点において、異次元緩和には歴史的な意義がある。

中立性で縛られる中央銀行

 低金利下でインフレ期待に働きかける経済理論は、少なくとも日本には適用できないことがはっきりした。日本では、物価は上がらないし、上がるべきでもないというノルム(規範)が根付いている。輸入物価などの影響で一時的にインフレ率が上がっても、ゼロの軸はぶれない(図)。

 金利がゼロまで低下したら、金融政策に総需要を刺激する役割を期待するのは無理だ。独立性を与えられた中央銀行は、資源配分や所得分配になるべく影響を与えないこと、すなわち「中立性」が求められている。金融政策はあくまで、金利水準など金融環境を変化させることで、間接的に経済や物価に影響を与えるから、その影響が及ぶ範囲はおのずと限られる。

 たとえば、毎年必ず2%ずつ価格を上げる企業に補助金を出すことにすれば、2%インフレぐらい簡単に実現できるかもしれない。しかし、中央銀行に、そんなことはできない。もしそれをやるなら、国会でしっかり議論して財政政策でやればよい。「財政政策を使ってでも2%インフレにすべきだ」という議論に全くなっていないということは、それを国民が求めているわけではないということだ。

 財政政策とは異なり税金を使わないとはいえ、異次元緩和の“実験”はコストを要さずに済むのだろうか。日銀のバランスシート(資産・負債の規模)は大きく膨らんだ。緩和の出口で資産と負債の金利が逆ザヤになり、日銀に損失が生じるとも指摘される。

 コストや副作用については、人によって見方が分かれる。緩和の副作用が生じないよう、日銀はうまくリスクマネジメントできていると私は評価している。だからこそ、日銀に対する決定的な批判はなく、政府や与党から「もういい加減にやめろ」とも言われない。効果もわずかだが副作用もわずか、ただ続けているだけ、というある種の日常風景に、異次元緩和は既になっているのではないか。その意味ではもう「異次元」ですらない。

 出口の損失見通しは、その時の物価や金利の前提による。ただ、出口に向かう時は2%目標が達成されているわけだから、その分、名目成長率も上がって税収も増えているはずである。日銀の損失は政府が事実上補填(ほてん)することになるが、税収も増えているのだから、コストにはならない。

 名目成長率が上がっていないのに金利を上げなければならない、という極端なケースもないわけではない。自然災害などで大混乱が起き、生活必需品の不足で大インフレになるような場合だ。しかし、その時は異次元緩和のコストなどと平和に語っていることなどできない。自然災害等に対し供給体制を強靭(きょうじん)なものにしておくことは、本当に重要だ。

(門間一夫・元日銀理事)

(構成=黒崎亜弓・ジャーナリスト)


 ■人物略歴

もんま・かずお

 みずほリサーチ&テクノロジーズエグゼクティブエコノミスト。1981年日本銀行入行。企画局長を経て理事。2016年より現職。

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