週刊エコノミスト Online 日韓関係
尹政権は徴用工問題の「解」を導き出せるのか 澤田克己
日韓関係で最大の懸案となっている徴用工問題について、韓国側でようやく意味のある動きが出始めた。韓国外務省が、打開策を探るための官民協議会を発足させたのだ。ただし、歴史認識問題は韓国の世論を刺激しやすく、注意してかからないと思わぬところで足をすくわれかねない。どのような結論を導き出せるのか、注意深く見守っていく必要がある。
日韓企業による「代位弁済」案も?
官民協議会は、趙賢東(チョ・ヒョンドン)外務第1次官が主宰し、7月4日に初会合が開かれた。元徴用工の訴訟代理人を務める弁護士2人の他、日韓関係の専門家やメディア関係者ら12人が参加した。尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の方針に好意的な保守派の専門家のみならず、激しく政権批判をする進歩派メディアの幹部も入っているのが目を引いた。
この日は約2時間半かけて、出席者たちから意見を聞いた。開催に先立ち、韓国メディアは、日韓両国の企業が自発的に拠出する基金が賠償を肩代わりする「代位弁済」案が政府内で検討されていると報じていた。会合では、これに反発する原告側が報道についてただし、政府側は「(代位弁済案を)政府案としたわけでもないし、日本と協議してもいない」などと釈明に追われた。会合では、国際仲裁裁判所など第三者に判断を委ねてはどうかという意見も出たという。
終了後、出席者の一人は、「これだけ意見の違う人たちが集まること自体が珍しい」と感想を述べた。こうした人選をすると議論が荒れる可能性はあるものの、幅広い層に理解を求める姿勢を見せることは大切だろう。
韓国メディアの報道などによると、「会合をさらに数回重ねた上で、8月中にも韓国政府としての方針を打ち出す」という。これは、差し押さえられた日本企業の資産を売却して賠償金に充てる「現金化」を実行するための司法プロセスが、早ければ8月にも完了するという見通しに基づいたスケジュールだ。
「現金化」の見通しはこれまで何回も延びており、時期が本当に固まったわけではない。だが、実行された場合には日本企業に実害が及ぶことになるため、日本政府は対抗措置を取らざるをえない。そうなれば関係改善はさらに困難になるとして、「そのタイミングがいつになるのか」が常に意識されてきた。
日韓関係の改善に「前のめり」な尹大統領
韓国最高裁が日本企業に賠償を命じる判決を確定させたのは、2018年10月。この直後、当時の文在寅(ムン・ジェイン)政権も日韓関係の専門家を集めて意見を聞くことはあったものの、実際に国内世論をまとめて事態打開を図ろうとする動きは見せなかった。文政権の対外政策は南北関係に重点が置かれ、対日政策は重視されなかったことが背景にある。
今年5月に発足した保守派の尹政権は逆に、日米韓の安全保障協力を重視し、日韓関係の改善にも強い意欲を見せる。その意気込みは、前のめりにも見えるほどだ。
実は、日本との関係改善に政権内でもっとも意欲的なのは大統領本人だと言われている。対日政策に関与する高官は筆者の取材に、「周囲がトーンダウンさせている」と語った。尹氏のこれまでの経歴から日本との強い接点は見いだせず、なぜなのか、理由を具体的に説明してくれる人物もいないのだが、どうも本当にそうらしい。
“教訓”とすべき2015年の慰安婦合意
とはいえ徴用工問題の解決は、意気込みだけで出来るものではない。日本にとって受け入れ可能な案が打ち出されたとしても、韓国内で強い反発が出れば頓挫してしまう。
教訓とすべきなのは、2015年の慰安婦合意である。今となっては忘れられている感があるものの、韓国でも当初は肯定的な受け止めが少なくなかった。韓国の民間調査会社リアルメーターが合意の発表直後に実施した世論調査では、合意を「よかった」と評価した人が43・2%、「よくなかった」とした人が50・2%だった。不満の方が強いとはいえ、決して反対一色ではなかったことが分かる。
だが、その後がいけなかった。当時の朴槿恵政権は財団設立など合意事項の履行を進める一方、反発する運動団体の説得には力を入れなかった。安倍晋三政権の側は、反発する自らの支持層への配慮を先行させ、韓国側の神経を逆なでするような言動を続けた。結果として、文氏が当選した17年大統領選では主要候補すべてが「合意の見直し」や「破棄」を主張するようになっていた。文政権が合意を骨抜きにしたのは事実だが、それを容認する「空気=社会的雰囲気」が就任以前から既に作られていたことは無視できない。
尹政権関係者によると、前轍を踏んではならないという認識は政権内に共有されている。そのため、なるべく多くの当事者から賛同を取り付けるための方策が検討されているという。当事者に理解してもらおうと大統領が先頭に立って努力する姿を見せれば、肯定的な世論作りにつながりうる。与党は国会で過半数を持っていないものの、世論を味方にできれば野党も真っ向から反対することは難しくなる。
欠かせない日本側の協力
尹政権幹部は「従来とは違う踏み込んだ世論対策を取るつもりだ。ただ、慎重に進めないと国民から反発を呼ぶだけに終わりかねない。日本のサポートが大きな変数になる」と語る。韓国の世論を不要に刺激するような言動が日本側から出てくれば、自分たちが困難な状況に追い込まれかねない。政権基盤が盤石とは言えないだけに、そうした懸念が強いようだ。
ロシアのウクライナ侵攻で国際秩序が大きく揺らぐ中、日本にとっても韓国との関係悪化を放置する余裕はない。両国関係の基礎となっている1965年の日韓請求権協定に反しない形での決着を尹政権が探るのであれば、日本も協力を惜しむべきではないだろう。
澤田克己(さわだ・かつみ)
毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数