首都境界を示す標石がDCの外にもある歴史的事情=峰尾洋一
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黒人問題の複雑さ示すバージニア州の首都礎石=峰尾洋一
バイデン大統領が「ジューンティーンス」を米連邦の祝日にしたのは2021年6月のことだ。ジューンティーンスとは、南北戦争の後、奴隷解放の通知が当時南部で最も遠隔地にあったテキサス州に最終的に伝わった6月19日(ジューン・ナインティーンス)の読みを短縮した言葉だ。もともとはテキサスなど複数の州の祭日だった。
ワシントンDCは、連邦政府の所在地として18世紀末に制定された。ポトマック河畔、メリーランドとバージニアの両州から一部土地を切り出してその区域を定め、その大きさは一辺が10マイル(約16.1キロメートル)の正方形で、面積は100平方マイル(約260平方キロメートル)だった。区域の境界設定で起用されたのが、数学・天文学者のベンジャミン・バネカーだった。
バネカーは1731年に黒人(奴隷ではない)の母親と、解放奴隷の父親の元に生まれた。独学で数学・天文学を修め、後に日食を予測するなどの実績を残した。また、奴隷の扱いを巡り、後に第3代大統領となるトーマス・ジェファーソンに抗議の手紙を送ったことでも知られている。
前述のDC境界線を示す礎石は今も残されているが、その一部は域外のバージニア州にある。これはバージニア州から切り出され、DCに編入された地域の住民の働きかけで、同地域が同州に戻ったことによる。この地域では奴隷貿易が盛んで、奴隷解放の機運が連邦議会で高まることへの懸念が帰還の原因となった。奴隷解放に反対しようにも、州ではないDCに含まれている限りは連邦議会に議員を送れない。現代に続くDCの特殊な立ち位置が、この一部地域の離脱を呼んだ。
リンカーンの発想
その後、バージニア州側の懸念は現実のものとなり、奴隷解放を掲げたリンカーン…
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週刊エコノミスト
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