小説 高橋是清 第198話 10月事件=板谷敏彦
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(前号まで)
政府の不拡大方針に反し日本軍の大陸侵攻が続く。欧州主要国は金本位制離脱を発表、ドル買いが殺到し国内外の正貨は激減、金解禁継続が困難になっていく。
昭和6年10月、柳条湖事件が起こり、満州事変へと拡大していく過程で、当初、若槻礼次郎内閣は不拡大方針を表明した。
これに対し政府の平和的で煮え切らない態度に、関東軍と連絡し国内クーデターを計画するグループが陸軍内にあった。
3月事件(第192話)を完遂できなかった橋本欣五郎中佐を中心とする陸軍内部の急進派、桜会である。
3月事件での処罰はほぼなかったことで、彼らの計画はさらに大胆になった。大きな違いは、今回は情報の漏洩(ろうえい)を恐れて陸軍上層部には秘密にしていたことである。中堅将校たちは上層部を信用していなかった。
ずさんな計画
クーデターの決行予定日は10月24日、3月事件の時のように議会を取り囲み政権交代を促すような面倒なことはせず、簡単にいえば、いきなり軍を送り込んで閣僚を抹殺してしまう大がかりで直截(ちょくせつ)な計画だった。
参加兵力は将校約100名余、兵は歩兵十数個中隊(1中隊200名程度)、これに海軍の部隊や霞ヶ浦の海軍航空隊も加わる。さらに民間右翼としては3月事件の大川周明の他に、国家改造論者として知られる北一輝や西田税(みつぎ)も加わる広範な計画だった。
決起部隊は首相官邸、警視庁、陸軍省、参謀本部などを襲撃し、若槻礼次郎首相以下閣僚は斬撃、もしくは捕縛する。
その後東郷平八郎元帥が参内して、荒木貞夫中将に組閣の大命が降下するように奏請するというものだった。あくまで計画であるが。
3月事件の時の首相候補は宇垣一成陸相だったから、トップが誰という重要性は低く、荒木自身も担がれただけで事件には関与していない。
またクーデター後の日本をどうするのかの展望もなく、無計画なものである。だが国家首脳の殺戮(さつりく)という凶暴で大胆な手法は後の5・15事件、2・26事件の端緒となるものである。
ところが10月16日には計画が軍の中枢に漏れて、翌17日には橋本以下、首謀者たちは逮捕されてしまうのである。どこから計画が漏れたかについては諸説あってはっきりとしない。
しかし、逮捕があって、こうしたクーデター計画の存在に一番ショックを受けたのが警察を管轄する内務大臣の安達謙蔵である。
「あなたも私も殺されるところだったそうだ」
安達は首相の若槻を訪ねると、軍中堅によるクーデター計画が発覚したことを告げた。
「関東軍といい、中堅幕僚といい、軍部の統制はいったいどうなっているのだ」
安達は、興奮する若槻を静めると、
「この前、英国が政党の壁を越えて挙国一致の内閣になっただろう」
「それがどうした」
安達は若槻を見て、勘が悪いなというふうに軽く舌打ちすると、
「若槻さん、この議会は民政党一党で行くことはとてもではないが無理だ。
景気に関東軍と問題はすこぶる多いし、非常に空気も悪いから、この際こちらも折れて、英国流に立憲政友会(以下政友会)の犬養毅を首班にして、協力内閣でこの難関を押し切ろう」
英国ではこの年世界恐慌対策で挙国一致のマクドナルド内閣が成立していた。議会政治の本場の英国でさえそうなのだし、政友会であれば何かと軍部とのパイプも太い。軍の抑制も利く。安達は説得した。
「それは非常に結構だから、ぜひ一つ実現するように尽力してくれ」
若槻はそう答えた。
11月2日、安達はキングメーカーの西園寺公望に会いに行った。
「挙国一致は第二次護憲運動(第163話)の時の加藤高明内閣ぐらいには上手(うま)くいくんやろか?」
西園寺の反応は積極的ではなかったが、安達は手応えを感じた。
安達が若槻にこの件を報告すると、
「犬養との交渉を直ちに開始してもらいたい」
若槻はそう言った。
「この交渉は少し時間がかかるに違いな…
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週刊エコノミスト
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