小説 高橋是清 第200話 円安=板谷敏彦
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(前号まで)
クーデター計画が発覚し混迷する若槻内閣は総辞職、組閣の大命を受けた犬養毅は是清に大蔵大臣就任を依頼する。再び蔵相となった是清に深井英五は金本位制停止を進言する。
昭和6(1931)年12月13日夜、宮中で犬養毅立憲政友会(以下政友会)内閣の親任式が行われた。式後首相官邸で一同小さな丸テーブルを囲みシャンパングラスを手に乾杯した。是清はすっかり健康が回復して、ふくよかな顔で犬養の隣に立っていた。
是清を囲んで記者会見が行われた。
「金輸出再禁止はおやりになりますか?」
「そりゃ、やります」
「しからば、兌換(だかん)停止はいかがでしょう?」
「やります」
既に深井英五と打ち合わせていた是清はよどみなく答えた。
その後、初閣議が開催され、金輸出再禁止の大蔵省令が公布即日実施された。
また兌換停止の方は枢密院での審議を経ての勅令となるために17日まで待たねばならない。
それまでは日銀の兌換窓口を一つだけに絞り、兌換を希望する者にはさんざん用途の質問を浴びせるなどして手間を取らせたので、兌換はあまり進まなかった。
これは第一次世界大戦当初、兌換は困るが名目上金本位制を停止したくないイングランド銀行が使った手である。
金輸出再禁止
14、15日の両夕食、娘婿の岡千里は是清と一緒だった。14日の夜はひっきりなしに電話が入り秘書官の上塚司(『高橋是清自伝』をまとめた人物)と是清が慌ただしい応対を繰り返したが、15日になると電話も少なくなった。
「岡さん、何か面白い記事は出ていないかね。自分は歳で目を大事にしたいから、新聞は耳で聞くだけにしたい」
「今度の金本位制の停止はかなりてきぱきやられたので、世間は先手を打たれてびっくりしているような有り様です」
岡は新聞記事の概要を答えた。
「これはね、時間をかけてはダメなのだ。昭和2年の金融恐慌の時も自分の手で同じようにやってみせた。枢密院に出かけてモラトリアムを発令したよ」(第173話参照)
「新平価による再解禁は行わないのですか?」
是清は岡の質問にすかさず答えた。
「そんなことは今、分かるものか。実際の世の中に立つ人は、その場合場合によって適当な処置を実行していくのがいいのだ。理想論は学者のやることだよ」
後に是清は、以前より割り引きされた形で円を英国ポンドとペッグ(連動)させることになる。それは言うなれば新平価による解禁に近かった。
少しけおされた岡は、話題を探しあぐねてこう言った。
「世間ではこれでドル・円は2割方安くなり、ドルを買っていた三井は5000万円ほどもうけたと言っています」
是清はこれにはムッとして岡をたじろがせた。
「だからまた何も分からぬ世の中は、銀行が相場か何かしていると思うのだ。三井には銀行としてドルを必要とする業務があるのだ。新聞は面白がって三井をたたくが、それは間違っているのだ。困ったものだ」
金本位制最終日の12月12日の横浜正金銀行のドル・円の交換レートは100円につき49・375ドルだった。金本位制停止のための市場の休みを挟んで、18日には世間の予想通り2割方円安の40・5ドルで再開された(図)。
もはや円は金と交換できない通貨となり、さらに今後は政友会の積極財政による財政赤字の拡大も懸念される。また拡大する満州事変も、軍事費の増加を予想させ円売りには拍車がかかった。
この円安は日本が満州を事実上占領し満州国を建国するまで続くことになる。安値20ドル、実に6割方の極端な円の下落であった。
深井英五
金輸出再禁止と兌換停止の処置が一段落した頃、是清は深井を赤坂表町の屋敷に呼んだ。
「昭和2年の…
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週刊エコノミスト
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