小説 高橋是清 第201話 井上準之助死す=板谷敏彦
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(前号まで)
軍を抑えられず若槻内閣は総辞職、犬養毅立憲政友会内閣が誕生する。大蔵大臣に再任された是清は深井英五と打ち合わせ金本位制停止と兌換停止を決め、急激に円安が進む。
第60回帝国議会は昭和6(1931)年12月23日に召集され、26日に天皇陛下御親臨の下に開院式がとり行われた。そこから休会して再開は翌昭和7年1月21日であった。
貴族院は午前10時5分開会、是清は首相の犬養毅と内務大臣中橋徳五郎の間に陣取り、内閣書記官長の森恪(つとむ)が近寄っては打ち合わせを繰り返していた。
首相の施政方針演説に始まり、芳沢謙吉外相の外交方針演説が終わると、高橋是清蔵相による財政演説が行われることになった。
通常、予算は衆議院で先議されるので、財政演説はまず午後に開かれる衆議院で行うのが慣行だったが、この日是清はこれを破った。
「諸君、私は金の輸出再禁止を必要とせるわが国経済界の情勢につきまして、この際、特に政府の所見の一端を申しあげる光栄を有します」
是清の例外的な財政演説を聴こうと、静まった議員席には大蔵大臣を辞めたばかりの井上準之助貴族院議員の姿もあった。
貴族院での論戦
是清はすっかり健康を取り戻していた。声にも張りがある。
「昭和4年7月、浜口内閣が成立するや、金解禁をもって主要政策とし、予算についても、極端なる節約緊縮を実行したのであります。
このために、わが経済界は日に月に不況に沈淪(ちんりん)(おちぶれること)しまして、産業は衰退し、物価は暴落して、農工商などの実業に従事する者は、物を作れば損失を招き、これを売れば更に損失をするというような有様になったのであります。
正貨の流出は巨額に及び、金融は逼迫(ひっぱく)、税収は減ったために昭和7年度予算では公債を発行せねばならない。
我々立憲政友会(以下政友会)内閣はこれら各般の情勢に鑑み金輸出再禁止を断行したのであります。
思うにこの金の輸出再禁止は国民の大多数をして総括的窮乏の苦悩より脱出せしめ、やがて産業を振興し、生活の安定に向かわしめんとする時局匡救(きょうきゅう)(悪をただし救って善導すること)の第一歩であります。
これにより不自然だった為替相場は低落し、物価は内外的に騰貴し対外的にはかえって低落するの道理に基づきまして、国内産業の刺激となり、ひいては外国貿易にも好影響を及ぼし、不況打開の曙光がここに現れたのであります」
是清の演説は、正貨の流出量など具体的な細かい数字が多用された。朗読口調ながら約50分間にわたった演説をすませると、割れんばかりの拍手の中、是清は疲れも見せずに悠然と席に戻った。
これに異議を唱えたのが井上である。
「議長、緊急質問を要求したい。高橋蔵相のいうところは事実と違う」
まだ民政党が多数を占めていた衆議院ならばともかく、貴族院では「また井上の話か」と、議場の雰囲気はよそよそしく、井上に質問させろとは盛り上がらない。
徳川家達貴族院議長は記名投票によって井上に質問させるかどうかを決めることにした。結果は179対142で井上の質問は認められた。
「高橋蔵相は金本位の維持が困難になったというがそんなことはない。現内閣こそ国民の多数が苦心し、打ち立ててきた金本位制を事前に何らの準備もせずに一朝にして放棄したではないか」
反論する井上の舌鋒(ぜっぽう)は鋭いが、議員たちは席を離れる者多数、もはや聞く耳を持たなかった。
是清が、金本位制は国民にとって本当に必要なものなのか、中国は銀本位制でもちゃんとやっているではないかと、少し雑な返答をすると、この議論は終わってしまった。
「国民は…
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週刊エコノミスト
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