小説 高橋是清 第202話 5・15事件=板谷敏彦
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(前号まで)
犬養毅内閣が発足、大蔵大臣に再任された是清は金本位制停止と兌換停止を決める。前蔵相井上準之助は新政権の方針に異議をとなえるが血盟団所属の男に銃撃され死亡する。
昭和7(1932)年2月20日、第18回衆議院選挙は3回目の普通選挙にあたる。犬養毅率いる立憲政友会(以下政友会)は議員定数466のうち301議席を獲得する大勝利を得た。
選挙では昨年来の関東軍の暴走による満州事変の解決という国際問題をあえて争点とせず、国民に人気の「ダルマさん」こと実績のある高橋是清を前面に出した景気回復をスローガンにした。
政友会が選挙民に問うたのは「景気か、不景気か」というシンプルなものだった。
井上準之助前蔵相の金解禁によるデフレーションによって不景気に苦しんでいた国民は、昨年12月の金輸出再禁止以降の円安と物価の上昇に素直に好況を感じ取り、井上よりも過去に不況脱出の実績がある是清を選択したのである。
ところが政友会が議会での安定多数を獲得すると、政党と密接に関係した利権ポストなどを巡って派閥争いが顕在化した。特に3月に入って、党内で犬養が頼りとしていた中橋徳五郎内務大臣が病気を理由に辞任すると、その後任を巡って政友会の内紛が世間に暴露されることになり、国民は政党政治に失望した。
上海事件
選挙の争点にしなかった満州事変だが、中国国内では昨年の日本軍の侵攻以降、日貨排斥運動が盛り上がり、上海にあった日本資本による紡績会社(在華紡)は9割近くが閉鎖というような状況だった。
昭和7年1月3日に日本軍が錦州を占領すると、7日には、米国が侵略によるいかなる領土の変更も認めないという国務長官ヘンリー・スティムソンによるドクトリンを宣言した。日本は国際社会から侵略国家として危険視されていた。
こうした中、1月18日に上海で托鉢(たくはつ)寒行中の日本人僧侶一行5名が襲撃されて内1名が死亡する事件が起きた。上海事件である。
戦後の昭和31年になって、これは一夕(いっせき)会のメンバーであった関東軍高級参謀板垣征四郎大佐が上海公使館付き陸軍武官田中隆吉少佐に命じた策謀であることがわかるのだが当時はわからない。
関東軍としては世界の非難が集まる満州から耳目をそらすために上海で事件を起こしたかった。上海には各国の租界があり、ここでの紛争は満州とは異なり各国とも人ごとではなかったからだ。
* * *
政友会は、満蒙は帝国の生命線であり、満州事変は同胞保護と既得権益の擁護であるからあくまで自衛権の発動であると主張していた。ゆえに仮に国際連盟が干渉してくるのであれば脱退も辞さずと政権獲得以前から議員総会で決めていた。
上海事件に際し、犬養は閣議を招集した。ここは武力衝突を避けたかったのだ。
「満州事変は世界から注目されている。いま上海で事を起こせば欧米との外交関係は破綻しかねない。それに満州事変のリットン調査団も2月にはやってくる、ここはぜひとも穏便にすまさなければならない」
「首相、甘いことを言っていると、南京政府になめられるばかりだ。支那は懲膺(ちょうよう)(こらしめること)すべし」
閣員の中で関東軍に共鳴し、大陸への積極策を牽引(けんいん)していたのは内閣書記官長の森恪(つとむ)である。
これに対して犬養は、「支那のことなら、お前なんぞに言われなくとも俺が知っている!」と怒鳴りつけた。
森は後で、「そんなこと言っているとしまいに兵隊に殺されるぞ」と憤慨した。
犬養の味方は中橋内相と是清だった。
「上海での紛争を防止するために、とりあえず居留民を一時引き揚…
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週刊エコノミスト
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