小説 高橋是清 第203話 政党政治の終焉=板谷敏彦
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犬養内閣は景気回復をスローガンに衆院選に圧勝するが、上海事件が勃発、関東軍の軍事行動がエスカレートする中、海軍将校ら4名が犬養首相を襲撃、殺害する。
昭和7(1932)年5月15日 、首相官邸を襲ったのは海軍の三上卓中尉、山岸宏中尉、黒岩勇予備役少尉ら4人の海軍将校と陸軍士官候補生5人だった。
この日このグループとは別に海軍の古賀清志中尉、中村義雄中尉の各グループも陸軍士官候補生7人とともに牧野伸顕内大臣官邸や警視庁、政友会本部、日銀などを襲撃したが、損害は軽微で、犯人たちは事件後に憲兵隊に出頭した。
5・15事件
事件の夜。犬養毅首相が亡くなると、高橋是清が蔵相兼任の首相代理を務めることになった。
是清は盟友犬養の暗殺に大きなショックを受けていたが、日が変わる頃、悲嘆にくれる間もなく77歳の老体にムチ打って宮中へ参内した。
翌16日午前2時35分、真夜中の宮殿「鳳凰(ほうおう)の間」で是清の首相代理の親任式が執り行われた。
夜が明けて午前10時、是清を首班とする立憲政友会(以下政友会)犬養内閣はこの時正式に総辞職した。
この後天皇から元老西園寺公望に対して「御召しの御沙汰」が下された。侍従次長が書面を持って西園寺を訪ねて直接手渡す。後継首相は誰にするのか決めろというのである。
「憲政の常道」が適用されるのであれば、暗殺された犬養の後は、内務大臣で新しい政友会総裁の鈴木喜三郎ということになる。ところが当時議会の圧倒的多数を占めて慢心の政友会は、利権ポスト獲得の派閥争いに明け暮れ、政党政治は天皇をはじめ多くの国民の信頼を失っていた。
また2月の井上準之助、3月の団琢磨と血盟団による要人へのテロが続き、今回はこれに海軍の青年将校や陸軍の士官候補生が加わっている。今回の事件では海軍の古賀中尉が陸軍若手にも決起を求めたが、陸軍は統制が利いて不参加だった。
しかし今後血気盛んな青年将校や軍部そのものがどう出るのか、軍人による首相官邸襲撃事件の衝撃は、支配層にとって大きなものだった。
テロの影が忍びよる西園寺の心中も穏やかではなかった。西園寺は静岡県の別邸「坐漁荘(ざぎょそう)」で近くに人影が見えるだけで、もう庭には出なくなるほどだった。
選択肢は「憲政の常道」鈴木政友会総裁か、あるいは陸軍が推す対中国積極派の平沼騏一郎枢密院副議長だった。平沼を選べば西園寺も一緒になって築き上げてきた日本の政党政治は終焉(しゅうえん)を迎えてしまう。
陸軍はさまざまなルートを使って、政党政治の継続では第2、第3の事件が繰り返されるとか、陸相に就任する者がいないと西園寺の耳に吹き込んでいた。
ここで天皇の「ご希望」が伝えられた。「ファッショに近き者は絶対に不可」と、これで平沼の目はなくなった。
またこれまで首相の奏薦を独占してきた西園寺が他の人間の意見を聞くことはまれであったが、今回は軍人も含む多数の要人の意見を聞いた。
もちろん是清もその中の一人であるが、その中に鈴木を推す者はおらず、政友会長老の是清ですら鈴木を首班とする政党政治よりも、政官軍各界の力を結集した挙国一致内閣をすすめた。
これまでの政友会ではもはや軍の政治進出を止められないと考えたのだろう。政友会からも立憲民政党(以下民政党)からも閣僚を出すのである。他の要人もおおむねそういう考えだった。
かくして新首相には、「挙国一致内閣」を組閣できる人物として中立的な、海軍の穏健な長老、斎藤実が選ばれたのである。斎藤は海軍次官、海軍大臣、朝鮮総督を長い間勤め上げていた。
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週刊エコノミスト
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