政治家襲撃につきまとう「無意味な死」の過酷さ=伊藤智永
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政治家襲撃につきまとう「無意味な死」の過酷さ=伊藤智永
岸信介首相は1960年7月15日、病院のベッドで正式に退陣した。前日、首相官邸で65歳の男に太腿を6カ所も刺される重傷を負ったからだ。官邸では次の自民党総裁に選ばれた池田勇人の就任祝賀会が開かれていた。男は自民党周辺にたむろしていた院外団(政治家の護衛名目に暴力を辞さない政治ゴロ)の一人。入場証を胸に付け、脱いだ上着の内ポケットにナイフを忍ばせて岸に近づいた。警護の警官3人と党職員5人が守っていたが防げなかった。
男は調べに「殺すつもりなら殺していたが、その気はなかった」と供述。動機は、親分の大野伴睦に行くはずの政権が池田に渡った腹いせ、反安保デモで死んだ東大生樺美智子への同情、安保騒動を引き起こした岸への憤まんなどはっきりしない。背後・指示関係も不明。出所後の取材に岸の功績を「良いと思う」と評価し、「だが、ポッと辞めて肩すかしはいかん。区切りがつかん」などと語った。結局、事件の意味はあいまいなままだ。傷の多さから、男が殺意をもって致命的な部位を狙っていたら、岸は恐らく絶命していただろう。日米新安保条約の自然成立から約1カ月。戦後、現職の首相襲撃は初めてだった。劇的な最期によって岸は「妖怪」とは別の伝説と化していたかもしれない。
希薄な政治的動機
岸はそれまでも何度か死にかけている。戦時中、閣僚ながら東条英機首相に事実上の退陣を迫り、自宅玄関先で軍刀に手をかけた東条側近の憲兵司令官に威嚇された。戦後、A級戦犯容疑者として3年間収容された時も命の保証はなかった。反安保デモに官邸を囲まれ、避難を勧められた時は「ここで死ぬなら本望だ」と拒んだ。政治家は常に死と隣り合わせの苛烈な職業と腹をくくっていたに違いない。ただし、それらの死を賭した経験は自らの政治決断と引き換えの意味ある危険だったのに対し、暴漢による襲撃は政治的にあまりに無意味で、命が助かったのは偶然がいくつも重なったからにすぎない。それもまた政治が宿命的に帯びる過酷さの一面である。
安倍晋三元首相殺害から1カ月。世間の関心は犯行動機とされる世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と政界の関係に移っている。だが、容疑者自ら犯行前「安倍は本来の対象ではない」と書き残した通り動機と犯行には論理的に飛躍がある。いわゆる政治テロ事件として向き合おうとすると、政治的動機の希薄さ、偶発性が重なった突然死という取り付く島のない無意味さに困惑せざるを得ないのだ。メディアもそこを回避するため政治と宗教問題に焦点を移したのだろうが、それでは元首相殺害で旧統一教会に批判を集めようとした容疑者の狙いにはまることになる。実は政治家襲撃の大半に、この無意味さがまとわりついている。無意味な死ほど恐ろしい。
事件のつど警備態勢が見直されたが、その実績は疑わしい。岸襲撃の3カ月後、社会党の浅沼稲…
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週刊エコノミスト
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