小説 高橋是清 第206話 時局匡救議会=板谷敏彦
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(前号まで)
犬養首相暗殺によって発足した斎藤実挙国一致内閣は外交方針を変え満州国を承認する。逼迫(ひっぱく)した財政立て直しに奔走する是清は反軍の邪魔者とみなされている。
昭和7(1932)年6月3日からの第62回議会(臨時)では「時局匡救(きょうきゅう)決議案」が議決された。
内閣は農村救済の土木事業、米価の維持、農村金融の拡充などの計画に取り組むことになった。また折からの満州事変に対する軍事費の出費もあった。
金融が緩和され、財政資金が投入される。そしてその資金は公債発行によって賄われる。
是清は議会において各種行われる不況打開策の根本として次のような説明をした。
「国民の働きが安い」
「経済の原理から申すならば、人の働きがすなわち富である。人の働きをあらわすものが物資である。物資の高くなるのはすなわち自己の働きが高くなることである。
とにかく、この国民の働きが安いということが、今日の病根である。
この働きにいかにして相当なところの価をもたせるかということの政策が根本政策である。
農村の今日の窮状については、農家の働きを高くしてやらなければならぬ。そうするには農家の作るものの価が高くなるような政策を採ってやらねばならぬ。今日のように、米を作っても収支の合わぬ、肥料代を払えば各々が食うことができない、食えば肥料代が払えないというようなことは、これは農家の作る米が安いためである。なんとしても、この米の価を高くすることが必要である」
当時、農業就業者の全就業者に対する比率は約45%である。まだ日本の米の自給ができていないこの時代、小作農の問題はあるにせよ、国家の食料供給を担う農家が食べていけないのは大問題だった。また是清は根本にあるのは単なる物価だけではなく、国民の労働の価値であると考えていたのは重要である。
資本が経済発展上必要であるのは論をまたないが、資本も労力とあいまって初めてその力を発揮し得る。是清にとっては労働が第一で、資本が第二だった。
「経済政策の根本は人をよく働かせることであり、人の働きの値打ちを上げることだと思っている。即ち、現に働いておる人々の報酬とその過去における蓄財に対する報酬、即ち勤労所得と資本利子を比較した場合、総利潤の分配は前者に重く、後者に薄くが当然で、これが労使協調の精神にも通じ、低金利政策を正当化するゆえんともなる」
残念ながら今日の歴史を見ていると、是清の理想どおりにはいかず、資本の分配の方が厚く労働には少なく、貧富の格差は拡大していくのが経済の常態のようである。
是清の息子で、高橋家本家を継いだ利一の話では、こうした勤労所得の前提から是清は当時流行(はや)っていたマルキシズムには反対であったそうだ。
「労働者といえども取った賃金のうちある部分を貯蓄して郵便貯金なり、銀行預金にする時は労働者兼資本家になる。働くという以外に資本の作りようがない。そして資本に対する利息、即ち金利というものは、やはりこれを使った稼業──働きの余裕を持って支払われる。つまり資本を作るのも労働、その金利を支払うのも労働である」
したがってこの頃、資本家に対する不満や反感が高じて資本そのものを憎むような傾向が出てきたことは誤りであると断じる。
「利潤の分配に不平があるなら、これを是正すればよいまでのことで、資本と労働が喧嘩(けんか)別れして生産が伸びようわけがない」
いかにも楽天的な是清の考え方であるが、いずれにせよ是清は労働という人の作り出す価値を重視したのである。是清の経済観は言うまでもなく共産主義のみならず国家社会主義やファシズムとも相性…
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週刊エコノミスト
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