小説 高橋是清 第207話 日銀引き受け=板谷敏彦
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(前号まで)農村救済や満州事変に対する軍事費のため金融が緩和され、財政資金が投入される。労働の価値を重視する是清の経済観は、共産主義のみならずファシズムとも相性が悪い。
昭和7(1932)年8月の第63回議会を通過した昭和7年度予算は、前年比プラス5.2億円(プラス34.7%)の20.2億円にまで膨張した。
これが是清が大蔵大臣に復帰して初めて組んだ通年の予算である。
増加分のうち満州事件費が2.9億円、時局匡救(きょうきゅう)費は1.6億円の計上だった。これに見合う歳入はないので、不足分は結局7億円弱にまで膨らみ、これは公債発行で賄うことになった。
国債買い入れの仕組み
時すでに8月、すぐに翌昭和8年度の予算編成が始まるがこれがまた難航することになった。
軍部からは満州事件費以外にも、実際に戦闘が始まったことから軍全体の質的向上を図る兵備改善費の要求が出された。
これまでは金がない、ない袖は振れぬで済ませたが、「公債発行でしのげるではないか」という意識が予算要求に対する金銭感覚をルーズにしたことは否めない。
こうして11月25日に閣議決定された昭和8年度予算は22.4億円に達して、うち8.8億円が公債発行によって賄われることになった。
このうち時局匡救費は2億1300万円、満州事件費を含む軍事費は8億5200万円にも及び、軍事費は満州事変前の4億円と比べると倍増以上の増加であった。
満州の実質植民地化を進める中で、日本は国際社会から孤立し始めたが、そのことがまた軍事費増加の理由付けとなった。
「軍事費が多すぎるのではないか?」
是清はこう答えた。
「なるほど国防自体には直接再生産を伴わない。が、国防に使う金は大いに生産に関係を持ち、原材料にも労力にも回っていく。それらの人々の生活がこれによって保たれる。だから軍艦そのものは何ら物を作らぬが、軍艦を造る費用は皆生産的に使われる。維持費もまたそうである。
国防は、それ自体生産に関係がなくとも、これを全面的に不生産と見るのは穏当を欠く」
プリミティブな乗数効果である。
第一次世界大戦前の英国では、戦艦建造はしばしば景気対策として認識された歴史がある。
年明けの議会で是清はこう尋ねられた。
「これほど借金をして返せるのか?」
「満州事件費、兵備改善費、時局匡救費などの経費の増加はおおむね一時的なもので、数年後には著しく減少すると考えられ、他方景気の回復によって経常収入は増加するから、昭和8年度の財政赤字が巨額であってもそれほど憂慮する必要はなく、おそらく昭和10年度には収支の均衡を回復できましょう」
単年度ではなく政策効果の出る長い期間で見る。是清の見通しには景気回復はもちろんのこと、満州事変の終息と国際社会との協調関係復活が必要な楽天的なものであった。
図は昭和7年度予算前後の歳入とそれに占める各年度の国債発行額の推移である。同時に歳出に占める軍事費比率の増加の様子を加えてある。
時局匡救事業は昭和7年から9年までの3年間で終了してしまうが、軍事費だけはそのまま膨張していったのである。
是清がケインズの経済政策を先取りしたと言われるのは、金融政策である金融緩和を行いつつ、国債を発行して財政政策である社会基盤等への政府投資を行ったからだ。
国債を発行しても市場に購買力がない、そこで市場を経由することなく日本銀行がこれを直接引き受ける。日銀の資産には国債が加わり、バランスシート上で対応する負債は政府預金になる。国債引受代金はこの政府預金口座に入金される。
政府は小切手で軍事費や時局匡救費を支払う。その資金は事業を…
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週刊エコノミスト
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