小説 高橋是清 第208話 コレキヨの評価=板谷敏彦
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(前号まで)通貨価値の低下、増大する軍事費。逼迫する財政に対し、是清は臨機処置として、新発国債発行の日銀引き受けという手段を用いる。
昭和20(1945)年10月、第二次世界大戦終戦から間もないこの時期、荒寥(こうりょう)たる都心の焼け跡と瓦礫(がれき)の中で、日本銀行総裁渋沢敬三は満州事変以来の日本の財政金融史を残しておくべきだと考えた。何故日本はこうなってしまったのか。
そこで東京帝大教授の大内兵衛博士に相談した。大内教授は財政学が専門でマルクス経済学の学者、1938年に大学を追われていたが、戦後に復帰、渋沢が日銀顧問として迎えたのである。
渋沢は10月9日付で日銀総裁から大蔵大臣になるが、その翌日、大内教授が監修者となり日銀調査局別働隊として特別調査室が設けられた。
揺れ続ける評価
特別調査室は昭和23年11月まで約3年の年月をかけて『満州事変以後の財政金融史』を書き上げた。これは「行内限参考資料」として印刷されたが、希少で正確なデータを持つ資料として参照する研究者も多く、今では『日本金融史資料第二十七巻』に収録されている。
ここでは是清の高橋財政をこう要約している。
「累増の一途を辿(たど)る軍事費をできるだけ無抵抗に調達するために膨大な赤字公債を発行しつつ、他方ではその公債の利払いに足りるだけの増税もしないで、増税はやがて民力が恢復(かいふく)して負担能力ができるまで待つという政策、略言すれば借金による赤字補填(ほてん)、もしくは大規模なインフレ政策、これが高橋財政の内容であり、秘密であった。
そして戦争と軍備と農村匡救(きょうきゅう)と資本救済とに惜しげもなく大金が振りまかれると共に、国民の借金たる公債が雪だるまのように増大していった。これが高橋財政の実績である。高橋財政は本質的に日本経済の将来に対する楽観の上に立っていた。(以下略)」
是清は確かに軍事費を削減するために軍部と対立したが、結果として軍部に対して前代未聞な軍事費を工面したのだと、大内教授は指摘する。
大内教授は大蔵省編纂(へんさん)の『昭和財政史第一巻』(昭和40年出版)も執筆しているが、その基準は当時の経済学の主流であった金本位制による均衡メカニズムを重視するものであり、井上準之助の井上財政への評価が高く、是清へは日銀引き受けによる軍部に対するファイナンスがファシズムと軍国化を招いたと手厳しいのである。戦争への反省が前提にあった。
こうした見方に反論したのが昭和46年、中村隆英・東京大学教授の『戦前期日本経済成長の分析』(1971年、岩波書店)である。
是清は軍事費に多く財政支出を行ったが、中央地方を合算すれば時局匡救費の方が多かった(第206話)ことを指摘。軍事支出に対するネガティブな側面ばかりではなく、是清の財政政策による景気浮揚の効果の方が注目されるようになる。
是清の財政政策を軍事インフレとファシズムを招いた放漫財政だと切り捨てるのか、あるいはケインズが1936年に完成させた投資乗数の理論を先取りした、小型ニューディール政策のような財政政策として捉えるのかで分析対象へのアプローチが変わったのである。
1980年代に入ると、戦前の世界大恐慌の国際比較の研究が各国で広がる中で、1930年代の是清の金輸出再禁止後の日本の景気回復がどの先進国よりも早かったことが注目される。
この事実を是清の生涯から説き起こし体系的にまとめあげて、世界に「日本のケインズ」として高橋是清を紹介したのが、リチャード・J・スメサースト・米ピッツバーグ大学教授による『高橋是清 日本のケインズ そ…
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週刊エコノミスト
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