小説 高橋是清 第209話 国際連盟脱退 板谷敏彦
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(前号まで)軍部との対立が深まる中、是清は新発国債発行の日銀引き受けという手段を用い、軍事費以上に時局匡救費への支出を増やし景気浮揚を図る。
是清が公債発行によって軍事費を賄い、時局匡救(きょうきゅう)事業によって景気回復を図ろうとしていた昭和7(1932)年、国際連盟が派遣したリットン調査団は満州事変を調査していた。
同年3月1日、満州国が建国されると、9日には清朝最後の皇帝溥儀が満州国執政に就任、関東軍は着々と傀儡(かいらい)国家の建設を進めていたが、この事実は当時日本で調査をしていた調査団には伏せられていた。リットンは3月14日に上海に到着してようやくその事実を知る。
リットン調査団が調査中に5・15事件が起こり、日本の政権は政党内閣から挙国一致内閣へと代わった。
犬養毅首相が暗殺され斎藤実内閣が発足すると9月15日には日満議定書が調印されて日本は満州国を承認した。これはリットン調査団に対する牽制(けんせい)であった。
調査団は、南京で汪兆銘、蒋介石、北京では張学良ら要人と会見、満州では執政の溥儀とも会見している。
「民族協和の原則に基づいて政治を行う」
溥儀は演説でこう述べたが、調査団の一行には棒読みのこれがかえって日本の傀儡政権であると印象づけた。
「支那人を軽蔑するな」
この年の『文藝春秋』9月号で、作家の直木三十五と菊池寛は、陸軍省新聞班の古城胤秀(たねひで)とともに「荒木貞夫陸相に物を訊(き)く座談会」を開催している。
この荒木陸軍大臣は日本軍を皇軍と呼び、竹槍(たけやり)三百万本あれば大丈夫と何度も呼号して「竹槍将軍」ともてはやされた陸軍皇道派の領袖(りょうしゅう)である。
リットン調査団から報告書が出されようとするこの時期、直木は荒木に国際社会から経済制裁を受けるのではないかと尋ねた。
「飯が食えなかったら粥(かゆ)を食べ、粥が食えなかったら重湯を吸え、それも吸えなかったら、武士は食わねど高楊枝(ようじ)で行く、そこまでの覚悟があればいい」
「日本の今は満州問題よりも一般生活、一般経済問題というものが大きい、このまま軍部の言うとおり行動しているとアメリカと紛糾して経済問題がさらに悪化する可能性がありますが」
直木が突っ込む。
「我々は経済のためばかりに生きているのではない。経済的に発達して国民精神を安楽にしていけば良い。だが、いったい何のために人間が生まれてきたんだという人生観に、最後は到達していかなければいかんと思う」
荒木は精神論に終始した。こんな頭脳が日本をあらぬ方向に牽引(けんいん)する。
また1月28日から始まった第1次上海事変において将校の死亡率が高かったことについてはこう述べた。
「いやしくも支那人から侮辱を受けておったら、支那では仕事ができぬという観念が強い。それから支那人の圧迫に対する反発力──今までは国際的関係から穏忍に穏忍を重ねておった、その反発力が強まって、危急存亡の時期にあるということで士気が上がっているのだと思う」
この荒木の発言を直接に受けたわけではないが、是清は満州国について『支那人を軽蔑するな』という文章を随想録に残している。
「満州問題も目鼻がついたが、満州国はあくまで独立国として対さねばならない。属国として扱えば人心を得ることができず、藩屏(はんぺい)(防備のための壁)たらしめることはできない。我が国が満州問題で立ったのは欲得からではない。ひとえに我が国家の存立防衛のためである。日本人は日清戦争以来、支那人を軽蔑する風がある。日本人が上下ともに支那人を馬鹿にするという一般的な気風─これが間違いのもとな…
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週刊エコノミスト
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