小説 高橋是清 第210話 減価する円 板谷敏彦
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(前号まで)過激化する世論に対し、是清は「支那人を軽蔑するな」と訴える。国際連盟ではリットン報告書の審議が始まり、対日勧告案を採決。日本は国際連盟を脱退する。
昭和8(1933)年2月23日、国際連盟総会で日本に対する満州からの「撤兵勧告案」が採決されようとするまさに前日、すなわち松岡洋右が世界に向けて「サヨナラ」という前日である。
関東軍は満州の領域を拡大するために熱河省に侵攻した。この侵攻は関東軍の独断ではなく、満州国の治安維持という名目で昭和天皇も裁可したものであった。
だが侵攻すれば連盟から除名される恐れありとして、侵攻の少し前に斎藤実首相が天皇に裁可の取り消しを求めたという事情があった。
天皇はこれを了承、ところが奈良武次侍従武官長や元老西園寺公望からは取り消せば軍によるクーデターを招きかねないと反対されてしまう。
天皇は、「統帥最高命令により、これ(熱河攻撃)を中止せしめえざるや」と聞き返したが、自分の命令で作戦を止められないことに失望してしまうのであった。
陸軍はもはや天皇の命令さえも聞かなくなった。そして作戦は決行されることとなり、日本は除名よりも連盟からの脱退を選択したのである。
1939年
それから1週間ほど後の3月4日、米国では三つのR「救済、回復および改革」をスローガンにニューディール政策をかかげたフランクリン・ルーズベルトが第32代大統領に就任した。
この当時米国のダウ・ジョーンズ工業株価指数は1929年9月3日に高値381・17ドルを記録して後、1932年7月8日には安値41・22ドルまで89・1%も下落していた。ようやく底を打ったかと思われたのもつかの間、大統領が就任する翌年のこの3月には再び底値を探ろうとするような動きを見せていた。
米国では信用不安が拡大し、預金者による金の引き出しに3月6日から全米の銀行は休業として閉鎖された。横浜正金銀行の為替取引窓口のデータでは米国は5日から実質上金本位制を停止していたとある。
3月9日は後にグラス・スティーガル法となる緊急銀行法が、5月27日には発行市場を規制する1933年証券法が可決された。
1933年は世界中で出来事の多い年で、ドイツではヒトラーが政権を掌握、3月24日には全権委任法を可決させ議会を形骸化させたところだった。またソ連では第2次5カ年計画が始まった。
英国は国際的な経済財政問題の解決のためのロンドン世界経済会議を開催した。当時まだフランス、オランダ、ベルギーなど金本位制を維持する国は残っていたが、狙いは改正金本位制の復活と世界的な関税の引き下げにあった。
国際連盟を脱退したばかりの日本にも招待はあった。代表は石井菊次郎子爵だが、是清は同行する経済の専門家としての全権委員に深井英五日銀副総裁を指名した。
日本の参加目的は、連盟離脱後の日本の存在感をアピールすること。加えて当時日本は意図的な円安によって世界貿易の脅威になっている、という近隣窮乏化政策の疑いをかわすことにあった。日本としては米国のように金本位制復帰や関税に関して何らかの成果を期待するものではなかった。
深井は5月4日に横浜港出航、同月23日ワシントン着、米国では世界経済会議に先立って米国と主要国の間でワシントン会商が開催された。
深井は24日の午餐(ごさん)会では、国務長官のコーデル・ハルの隣に着席した。後に日本にハル・ノートを突きつけるあのハルである。
ハルが深井に聞きたかったのは改正金本位制の復活は可能であろうかという根本問題だった。
深井は国際経済の難局の解決に貨幣や為替に万能薬を求めるのは…
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週刊エコノミスト
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