小説 高橋是清 第205話 通貨と経済 板谷敏彦
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(前号まで)
軍は満州のみならず上海でも戦火を開いた。国際社会の非難を浴びる中、日本は金本位制を停止する。新聞は軍部と一体となって反中、反英米の敵愾心(てきがいしん)をあおる。
昭和6(1931)年末、立憲民政党(以下民政党)から立憲政友会(以下政友会)への政権交代が行われた。その直後の第60回帝国議会(通常)では、年明け早々に金輸出再禁止を巡り是清と井上準之助が討論し、その後政友会は議会を解散して総選挙に打って出た。
総選挙は政友会の大勝で終わり、選挙運動中に井上は暗殺されたのだった。
高橋財政
選挙後の3月20日から24日まで開催されたのが第61回帝国議会(臨時)である。
犬養毅首相は緊急国務に就いての演説でこう述べた。
「帝国は東洋永遠の平和を確保し、我が権益の擁護及我が国民の生命財産の保護を完うせんことを期する外に、何等の意図を有しませぬ、領土的企図無きは勿論、門戸開放機会均等主義を尊重するものであることは屡々(しばしば)声明した通りであります」
この時関東軍はすでに満州国建国宣言を行い、ラストエンペラーの溥儀を満州国執政に任じていたが、犬養首相の発言にはいまだ国際協調の姿勢が見られたのである。
一方大蔵大臣の是清は、昭和7年度の予算が解散総選挙によって議会で討議されなかったので、昭和6年度の予算を踏襲することになる。とりあえず満州事変の予算処置が必要になる。
昭和6年度の国家予算は14億7000万円、一方で満州事変の戦費である満州事件費は昭和6年の実績が4649万円、翌昭和7年が陸海軍合わせて2億6500万円にも上った。
以降も陸軍だけで見ると毎年の予算の30から40%がこれにつぎ込まれ、昭和15年までの満州事件費の陸海軍実績合計は18億807万円に達することになる。
続く第62回議会は5.15事件のために新しい斎藤実挙国一致内閣の下で6月1日から14日までの期間で開催された。
斎藤新首相は施政方針演説でこう述べた。
「対外政策に就きましては、新内閣は国際の信義を重んじ、列国と協調致しまして、世界人類の進歩発達に貢献せんとする、伝統的政策を維持することは勿論(もちろん)でありますると共に、我が権益の擁護と、国際正義の命ずる所とに対し、自から独自の立場を執ることのありますることも、亦(また)已(や)むを得ざる次第と考えて居るのであります」
そして満州国については、
「去る3月上旬を以て樹立せられたる新国家は、逐次発達の道程を辿りつヽあるのでありますが、同国が今後益々健実なる発達を遂げますことは、ただに同地方の治安及繁栄の回復増進のためのみならず、東洋平和の確保のためにも極めて有意義と思考するのであります」
斎藤の挙国一致内閣は外交姿勢を変え、衆議院は議会最終日に満州国を承認、9月15日には日満議定書に調印することになる。これはこの時調査が進むリットン調査団に対抗するものであった。リットン卿が報告書を出すのは10月1日のことである。是清はこうした動きを苦々しい思いで見ていたが、目の前の仕事を粛々とこなした。
財政予算は前述したように昭和6年度をベースに組み立てることになるが、是清は満州事件費などを単に加えるだけのつじつま合わせをやめて根本に手をつけた。
ひとつは、金本位制離脱後の発券制の改正である。もはや日銀券発行に兌換(だかん)準備の正貨の紐(ひも)付けは必要ない。それまでは1899年の兌換銀行券条例によって、日本銀行による保証発行限度額は1億2000万円に制限されていた。
この保証発行限度額とは、日本銀行が金や在外正貨などの裏付けなしに1億2…
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週刊エコノミスト
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