男女問わずに楽しんだ大江戸エンタメ事情を紹介=今谷明
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英国オックスフォード大学出身の歴史家で、お雇い外国人として一高などで教鞭(きょうべん)を執ったジェームズ・マードックは、明治36年に『日本史(一)』を著し、近世江戸の文化は、パリ、ロンドン、ウィーンと同程度と評価した。江戸の日本を遅れた社会と見る人が多かった当時にあっては非常な卓見であったが、具体的にはどうだったのか。
安藤優一郎著『大江戸の娯楽裏事情 庶民も大奥も大興奮!』(朝日新書、869円)は、江戸のエンターテインメント事情を文化の一端として論じる。寺社の境内で行われた「富突(とみつき)」(宝くじ)、次に「飲む・打つ・買う」すなわち外食・賭博・色街のにぎわい、そして演劇で寄席(よせ)・歌舞伎・能楽。祭礼は江戸の三大祭りや天下祭、最終章は寺社修復のため行われた出開帳(でかいちょう)(寺社の霊宝を展示して寄進を募る行事)となっている。
以上のエンタメは概して身分(士農工商)ごとに分かれていたが、横断的なものもあった。例えば松江藩主・松平斉貴(なりたか)は江戸城内の儀式に通じた故実家の大名であったが、祭礼の“馬鹿囃子(ばかばやし)”(山車などの上での囃子)が好きで、山王祭には必ず江戸の上屋敷で囃子を聴き、「あの太鼓は三吉だ。あの笛は伝兵衛だぞ。シャギリ(囃子の一種)は誰、何は彼といちいち言い当てて外れなかった。しかし斉貴は祭好きが昂(こう)じて参勤交代を守らず、国元へ帰らなかった…
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週刊エコノミスト
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