人種差別を禁じ黒人の権利を保障する「投票権法」をずたずたにした最高裁判決 中岡望
米選挙制度を巡る混乱の歴史。前編に続き、後編では1965年の「投票権法」成立以降に何が起きたのかを振り返る。
最高裁判決で骨抜きにされた「投票権法」
1965年、投票における人種差別を禁じた投票権法の成立によって、アメリカは名実ともに民主主義国家となった。
投票権法は憲法修正第14条と15条で保障された黒人の投票権を再確認するものであった。この法律には、全国に適用される「一般条項」と、特定の州を対象に「対象管轄区」を規定する「特殊条項」が含まれている。
一般条項では、人種による投票差別や、黒人排除を目的に選挙権登録時に課してきた識字試験などが禁止された。特殊条項には、対象管轄区が選挙法を変更する際に、連邦地方裁判所から事前承認を得ることを義務付ける内容が盛り込まれた。これは、州政府が勝手に投票ルールを決めてはならないことを意味している。
アメリカでは、選挙手続きに関する全国一律の規制は存在せず、それぞれの州ごとに決められている。つまり、州の判断で自由に差別的なルールを導入することができる。投票権法は、そうした行為を禁じたのである。
だが、投票権法はすぐに骨抜きにされた。
2010年、アラバマ州シェルビー郡が当時のホルダー司法長官を相手どって、投票権法の対象管轄区域の指定は違憲であると訴えた。連邦地方裁と連邦控訴裁は、投票権法は合憲と判断した。だが、最高裁は2013年に5対4の票決で投票権法は違憲であると全く逆の判決を下した。その論拠は、投票権法が禁じているような「差別」は「既に存在しない」ということと、投票権法を成立させた連邦議会は憲法修正第14条と15条に基づく権限を逸脱した、というものであった。
これによって州政府は自由に投票ルールを設定できるようになった。こうして、南部諸州は再び黒人やマイノリティを対象とした様々な投票制限を導入し始めるのである。
最高裁判決後、15州で再び黒人やマイノリティの投票を阻止するルール改正が行われた。その先陣を切ったのは南カロライナ州だ。「投票者身分証明法(voter identification law)」を制定し、身分証明として認められるのは州発行の運転免許証、州発行の身分証明書、軍の身分証明書、パスポートに限定するとした。これには明らかに黒人とマイノリティの投票を抑制する狙いがあった。
多くの黒人は貧困層で自動車の免許証を持っていない。ましてやパスポートなど持っているのはごくわずかで、軍務経験がある者も少ない。このほかにも様々な理由を上げ、黒人有権者を選挙登録から排除した。
2018年の連邦議会の公民権委員会の報告によると、23州で厳格な身分証明の提示、投票所の閉鎖、期日前投票期間の短縮、郵便投票の制限などが行われた。最高裁判決後5年間で投票所は1000か所以上閉鎖され、その大半が黒人などマイノリティの居住地域であった。こうした動きは、「投票抑制(voter suppression)」と呼ばれている。
“投票抑制”は共和党の選挙戦略
2018年の「シェルビー郡対ホルダー裁判」には伏線がある。
2000年の大統領選挙でフロリダ州の投票結果が問題となった。同州の票数を巡って、民主党のゴア候補が再集計を求めたのに対し、共和党のブッシュ候補が再集計に反対し、最終決着は最高裁に持ち込まれた(ブッシュ対ゴア裁判)。最終的に最高裁は再集計を認めず、ブッシュ候補の勝利が確定した。
この事件以降、共和党は選挙制度を重要な戦略と位置付けるようになった。本記事の冒頭(前編)で指摘したように、アメリカ政治は投票権の拡大を巡って争われてきた。共和党や南部諸州は民主党支持派が多い黒人やマイノリティの投票権を制限する戦略を取ってきた。逆に民主党は支持基盤である黒人やマイノリティの投票権を擁護する戦略を取ってきた。こうした選挙規制は特に中間選挙で効力を発揮し、マイノリティの投票率は低下する。投票率の低下は共和党に有利に作用する。
選挙ルールに関して共和党支持者と民主党支持者の反応は全く異なっている。ギャラップが行った調査(2022年10月14日、「Eight in 10 American Favor Early Voting, Photo ID Law」)の結果を見てみよう。
まず、「投票所で写真付きの身分証明の提示を義務付ける」ことに関しては、共和党支持者の97%が賛成であるのに対して、民主党支持者の賛成は53%に留まっている。「投票所あるいは不在者投票を制限する」に関しては、共和党支持者の61%が賛成しているが、民主党支持者の賛成は18%にとどまっている。「5年以上投票していない選挙登録者を名簿から削除する」に関しては、共和党支持者の59%、民主党支持者の19%が賛成。「自動的に選挙登録ができるようにする」は、共和党支持者の賛成は47%、民主党支持者の賛成は81%。「期日前投票の期間を延長する」は、共和党支持者の賛成は60%、民主党支持者の賛成は95%。「選挙前にすべての有権者に不在投票用紙を送付する」に関しては、共和党支持者の賛成はわずか27%、民主党支持者の賛成は88%である。
共和党支持者は投票率を引き下げるような投票制限政策を支持しているのに対して、民主党支持者は投票率を高める政策を支持していることが明確に表れている。選挙制度の対立は党派対立を映し出しているのである。
2021年には共和党地盤の19州で投票制限法が成立
さて、11月8日に中間選挙が行われる。共和党は「2020年の大統領選挙は民主党に盗まれた」と主張しており、共和党が地盤の州では様々な選挙規制が導入されている。
Brennan Center for Justiceの調査(2022年2月9日、「Voting Laws Roundup: February 2022」)によれば、2022年1月の時点で、27州で250本を超える投票規制法が州議会に提案されている。2021年1月14日時点での法案提出件数が24州で75本だったのと比べると飛躍的に増えている。ほとんどが中間選挙に向けて、共和党の支持基盤の州が投票の不正を理由に提案したものだが、同センター は「もし法案が成立すれば、有色人種にとって非常に大きな影響を及ぼす」と指摘している。
特に、選挙結果に大きな影響を与える激戦区を抱える州では、郵便投票規制や厳格な身分証明の提示、障害者の投票規制、市民である証明書の提示などを内容とする投票制限法案の提出が目立っている。
頓挫したバイデン政権の投票改革法案
こうした共和党の投票制限の試みに対抗して、民主党は選挙改革法を議会に提出した。全国一律の選挙法を適用することを求めた「The For the People Act」と呼ばれる法律で、公民権法以来の画期的な法律だと評価されている。
盛り込まれたのは、自動的な選挙登録制度の導入である。住民登録をしておけば自動的に投票券が送付される日本とは基本的に違い、アメリカでは選挙登録をしなければ投票できない。現在、19州が自動選挙登録制度を導入しているが、同法はそれをすべての州に導入することを求めている。このほか、郵便投票や期限前投票を容易にする内容や、投票抑制の禁止、小口の選挙資金の献金者を優遇する選挙資金の改革、政治的ゲリマンダーの禁止、連邦倫理法の強化、受刑者の投票の容認――など盛りだくさんである。
だが、同法は2021年3月に下院で成立したものの、上院で共和党議員の反対に遭い、成立には至っていない。
中間選挙の投開票が11月8日に迫っている。世論調査によると、下院は共和党が過半数を獲得、上院は民主党と共和党が接戦を演じている。選挙前の勢力は民主党50議席、共和党50議席といずれの党も過半数に達しなかったが、今回の中間選挙の結果で、勢力が変わる可能性が高い。
世論調査では、ネバダ州、ジョージア州、ペンシルバニア州の3つの激戦区の結果が上院の勝敗を決すると見られている。いずれにせよ、上院の議席の拮抗状況は今後も続く。ただ共和党が両院の多数派を占めると、バイデン政権は厳しい状況に追い込まれるだろう。
共和党は「不正」を口実に選挙結果を拒否する可能性も
そんな中、『ワシントン・ポスト』紙が興味深い記事を発表した(2022年9月18日、「Republicans in key battleground races refuse to say whether they will accept results」)。この記事は、「10名以上の州知事選や上院選の激戦区の共和党候補者が、選挙結果を受け入れるかどうかに関して発言を拒んだ。このことは、トランプ大統領が大統領選挙の敗北を拒んでから2年後、選挙を巡る混乱が再び起こる可能性を示唆している」と記している。
要するに、選挙の帰趨を決する激戦区で敗れたら、共和党候補は選挙で不正が行われたとして結果の受け入れを拒否する可能性が出てきたということだ。2年前にトランプ大統領が行ったと同じ行為であり、民主主義の原則が再び踏みにじられることになる。トランプ前大統領の関係者が、選挙で不正が行われたとして訴訟を起こす準備をしているとも伝えられている。
中間選挙で、改めてアメリカの民主主義制度の本質が問われることになろう。
中岡 望(なかおか のぞむ)
1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。ハーバード大学ケネディ政治大学院客員研究員、ワシントン大学(セントルイス)客員教授、東洋英和女学院大教授、同副学長などを歴任。著書は『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など