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小説 高橋是清 第213話 藤井蔵相 板谷敏彦

(前号まで)是清の大蔵大臣就任から1年あまり、金本位制停止により景気回復が鮮明になる中、帝人事件によって斎藤内閣は総辞職、海軍出身の岡田啓介に組閣の大命が下る。

 

 昭和9(1934)年7月8日、岡田啓介内閣が発足した。これは帝人事件のあおりで総辞職した斎藤実内閣を継承する内閣だったので、外相広田弘毅、陸相林銑十郎、海相大角岑生(みねお)が留任、前農相の後藤文夫が内相として再入閣した。

 また閣僚には政党人ではなく内閣書記官長の河田烈(いさお)など新官僚と呼ばれる革新右派系「国維会」の官僚が増えたことで議会第1党の政友会とは距離ができた。

 最重要視されていた大蔵大臣には留任を固辞する是清の推挙によって、あくまで是清の後援を条件に大蔵次官の藤井真信(49歳)が抜擢(ばってき)された。藤井も新官僚の一人である。これはまた帝人事件で幹部の多くが起訴された大蔵省内を慰撫(いぶ)する目的もあったとされる。

新官僚

 岡田から直接要請された藤井は是清に相談にきたのでこう言った。

「大蔵大臣になりたい人間は数多くいるが、君しかいないと岡田に話した」

「私は病弱で大臣の激職は到底務まりません」

 弱気な藤井に是清は諭した。

「大臣は次官よりも手が抜けるものだ。だからやりなさい」

 それでも藤井は肯首しない。

「君の身体が弱いことぐらい私もよく知っている。しかしだ。国家危急の時は身を鴻毛(こうもう)の軽きに置くということを知らんか」

 是清は少しきつく出たが、藤井こそが軍事費増大に対する強烈な批判者であり、自分の代わりが務まる人間だと認めていたのである。

 藤井は英語とドイツ語ができたが、ある時大蔵省が各国の財政制度を調査することになると、今度はにわかにフランス語とイタリア語も勉強したという逸話を持つ、超がつく優秀で真面目な人間である。藤井の後釜には財務官から理財局長になっていた津島寿一が大蔵次官に就任した。

 身内の藤井が大臣になったことで大蔵省内は明るくなったと言われる。省内一致し、軍部に対して健全財政を守る意気に燃え、昭和10年度予算策定に際しては綿密な調査書を作成した。

 岡田内閣は十大政綱を発表した。その中には国際親善、国防安全、財政確立と相矛盾する項目が並んでいた。

 藤井は軍事費削減、公債漸減主義において高橋財政の後を継いだが、税については少し違った。

 是清は民間経済の活力を削(そ)ぐからと増税を嫌い、景気回復による税の自然増収を期待した。また容易に増税を行えば必ず軍部が予算源として期待するようになると警戒したのである。

 10月20日の新聞に、首相の岡田も知らぬまま突如3000万円増税の記事が出た。これは臨時利得税として当時活況だった軍需産業と輸出産業に一定の課税をしようというものでさして厳しい増税ではなかったが、財界は是清の財政方針に変化が出たのかと疑い現状変更にショックを受けたのである。株価は暴落した。

 そして誰よりも、財界にショックを与えたことに藤井がショックを受けた。反応を見ながらもう少し情報を小出しにするとか藤井には政治家的な配慮が不足していたのである。

 11月4日。大蔵省の昭和10年度予算の査定原案が省議で決まった。歳出総額20億4200万円、公債発行額6億400万円、前年度に比べて歳出が約9000万円、公債発行は2億700万円の減であった。

 11月5日、21日、22日と予算閣議が開かれた。

 歳出総額を減らしたので各省、特に陸海軍、農林各省の復活折衝は猛烈なものとなった。

 首相の岡田が言うに、藤井は理屈では閣内で相手になる人はいなかったが、部下に弱くて大蔵省の方の押さ…

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